薄い空気の夜に ─ハワイ すばる望遠鏡─

薄い空気の夜に ─ハワイ すばる望遠鏡─

小林 尚人(天文学教育研究センター 准教授)

図1

図1:天の川を観測する「すばる望遠鏡」。レーザーで参照人工星を打ち上げる「補償光学」観測も今では普通になった。(提供:D.バーチャル (Dan Birchall) 国立天文台ハワイ観測所)

図2

図2:「みんなちょっと見て」観測室でのひとこま(提供:A.トクナガ (Alan Tokunaga) ハワイ大学)

ハワイ島マウナケア山頂の「すばる望遠鏡」は,日本の光赤外天文学にとって文字通りフラグシップであり,いまもっとも質の高い天文データを生み出し続ける最前線の現場でもある。ハワイといえば常夏の島をイメージされる方が多いと思うが,マウナケアは氷点下にもなる標高4,200mの高山であり,雪を頂くこともめずらしくはない。山麓の町から車で1時間半あまり,山頂に到着すると,天上には青空,眼下には雲海が広がる。ここは晴天率が高いだけでなく,太平洋中央に位置する孤立峰であるため,世界でもっともシーイング(大気による星像のシャープさ)が良いことで知られる天文観測の「聖地」であり,世界第ー級の望遠鏡が勢揃いしている。

昼は観光客や望遠鏡と装置のメインテナンスを担当するデイ・クルーで賑わう山頂も,日没とともに,天文学者と望遠鏡を動かすナイト・クルーへと主役が完全に入れ替わる。研究現場としての本番は,まさに日没から始まる(図1)。一夜あたりに観測できるのは8時間あまり。大望遠鏡は競争が激しいため,年平均で数晩しか使えない。しかも,天体に望遠鏡を向ければ自然に観測データが取れるわけではない。自動車や家電製品と違い,大口径8.2mの望遠鏡はあまりに複雑なため,ちょっとしたミスで観測が止まってしまうことも多々ある。観測室には,天候,望遠鏡,装置のあらゆる状況を示す多数のモニターが並び,時々刻々と変化する値を見ながら次に最適な観測計画を考える必要がある。しかし山頂は酸素が地上の60 %余りしかなく,夜中あたりから頭がどんどん回らなくなる。高山病にならないまでも,息苦しいし,関節は痛む。天文学者はこういう環境になれているからみんな長生きすると聞いたことがあるが,本当だろうか。冗談を言い合い,くつろいでいるようでも,静かに流れる時間に緊張感がみなぎる。モニターに送られてきた天体画像を確認する。いいデータだ…「みんなちょっと見て」。緊張が解ける,この上なく幸せな瞬間だ(図2)。しかしすぐにまた,みな自分の持ち場に戻っていく。そうこうしているうちに,もう夜明けだ。まだ校正用のデータをとらないといけない。観測者はみんなぐったりしている。すべてが終わり観測室の外に出る。もう朝日が登っていて,東の空がまぶしい…。

天文学専攻と天文学教育研究センターは,国立天文台ハワイ観測所が運営する「すばる望遠鏡」の最大のユーザーでもある。スタッフほぼ全員がこの望遠鏡を使った観測を経験しており,太陽系,系外惑星,星形成,銀河系,銀河団,遠方銀河,宇宙論…と天文学のほぼ全分野で,最先端の観測研究をすすめている。その論文数も膨大だが,私をはじめ多数のスタッフがこの望遠鏡の建設や装置の開発に携わった経験をもつ。天文においては,未知の天体に対応すべく,目的をしぼらずになるべく広いスコープをもった望遠鏡と装置を用意する。多様な観測から新しい知見が抽出され,それをもとに全く思いもつかなかった新しい観測が提案され,次々と多様な天文世界が明らかにされる。「すばる望遠鏡」は,そういった天文学という学問の生業に自然に溶け込んでいる。

今日もまた新しい観測者が到着し,一日が始まる。