人類学 −受容と偏見−

人類学 −受容と偏見−

石田 貴文(生物科学専攻 教授)

図1

図1:(上段)鳥居龍蔵の報告書に記された蘭嶼島(台湾)の家屋と見取り図(紅頭嶼土俗調査報告より。明治35年7月17日発行 編集発行:東京帝国大学)(下段)1990年の同様の場所の風景

図2

図2:現地調査の環境づくり:(上段)カタコトの現地語の市場廻り。(中段)バナナの葉の床敷きにグリーンシートの屋根(ジャングルにはブルーシートより似合う)。(下段)軒下にやってきたリスが惣菜になる途中。

理学部2号館生物図書の書庫に明治三十五年印刷「紅頭嶼土俗調査報告」という埃をかぶった書物がある。著者は後に著名になる鳥居龍蔵(当時,東京帝國大學理科大學助手),緒言は東京帝國大學理科大學初代人類学教授の坪井正五郎である。鳥居はこの一連の台湾の調査で初めて記録のために写真撮影を導入したが,詳細なところでは挿絵が用いられている(図1上段。下段は筆者が撮影した1990年の同地の風景)。その緒言には「人類學ノ目的ハ人類ノ本質現状由來ヲ明カニスルニアリ。而シテ安全ナル結論ヲ得テ此ノ目的ヲ達セントセバ諸種族ニ關スル正確ナル事實ヲ蒐集セザルベカラズ。」(以下略)とあり,東京大学における人類学の創成期の意気込みが感じられると共に,現地調査の大切さが謳われている。

形質人類学(理系)も文化人類学(文系)も人類学には,フィールドワークが欠かせない。本号の「理学の現場」はそのものズバリ「現地調査」である。それでは,街に,村に,野に出かければそこが研究の「現場」になるのか?生身の人間を研究・調査対象とする人類学では「否」である。「現場」と成るためには(調査対象からの)「受容」という過程が必要である。では,どうしたら「受容」されるのか?われわれの経験を以下に記す。

まず,現地調査の流れを見てみよう。興味の対象を定め,現地予備調査・村長など実力者による面通し,公的機関への調査許可の申請・許可の後,本調査となる。村長(実力者)の同意(は大切である)が「受容」ではない。実際の,本調査時に被験者に受入れられなければ調査は成り立たないからである。そこで,現地入りして始めにすることは,マーケット調査である(図2上段)。言葉通り,市場へ行くと現地の人が何を食べているか,好みは何かを知ることができる。食事を共にすることは,互いの垣根を低くする上で重要であるし,調査協力への謝意を表す「お・も・て・な・し」にも繋がる。次は,寝る場所の確保で,場合によっては宿を自作することもある(図2中段)。さて,市場調査も心の準備も済ませ,肝腎の食事となるが,思わぬブッシュミートが食卓に載ることがある(図2下段)。もちろん歓迎の「おもてなし」であり,断ることは論外で美味しく頂くことになる。同じ場所で寝食を分かち合うことが「受容」に繋がるというのが実感である。モンゴルではタラバガン(プレーリードッグを一回り大きくした齧歯類で,感染症を媒介するので忌避される。が,肝の出汁がたいへん美味),東南アジアではリス・ヒキガエル・セミ・トカゲ・アリ・タガメ・カナブン・犬といったタンパク源,豚の餌と言われ食べると蔑まれるが奥地では貴重な食材であるバナナの幹・パパイアの葉を食べてきた。食べた「現場」での調査は概して順調で,これまで30以上の民族について人類学的調査を済ませ,数千の試料が手元に残されている。「アジア型マラリア抵抗性形質の分布」,「皮膚色変異の分子基盤」,「腫瘍ウイルスの民族疫学」と言った研究成果として,生物科学専攻から世界に発信されている。

また,「現場」で忘れてはならないことに「偏見」がある。1970年代に,かの社会人類学の泰斗クロード・レヴイ-ストロースが来日しテレビ講演をした後,司会者の「異文化に対し,偏見を持たずに接する先生の姿勢に感動しました」という「ヨイショ」に,「偏見を持たないのではなく,常に偏見をもっていることを認識することが大切なのです」と哀しげに答えていた姿が今でも記憶に新しい。「現場」では,この言葉を反芻している。これは,人類学における「シュレジンガーの猫」ではないかと密かに思っているところである。