理化学研究所「京」コンピュータ

理化学研究所「京(けい)」コンピュータ

常行 真司(物理学専攻 教授)

図1

「京」の設置された理化学研究所計算科学研究機構。正面にはそろばんの玉を模したモニュメントがある。

神戸の中心にある三宮駅からポートライナーで約14分,ポートアイランド最南端にある神戸空港まであと一駅という場所に,事業仕分けで一躍有名になったスーパーコンピュータ「京」を擁する理化学研究所計算科学研究機構がある。周囲にはスパコンの産業利用を推進する計算科学振興財団,神戸大学と甲南大学の小さなサテライトキャンパス,国際会議のできる研修施設,そしてどういうわけか南国の花と鳥の見られる観光施設がある。

計算科学研究機構の建物は,体育館のような空間に「京」が据え付けられ,その2辺に巻きつくように研究室,事務室,会議室が6フロアを使って配置されており,所属する19の研究チーム・研究ユニットの研究者に加え,全国のさまざまな機関の若手研究者がプログラミングの共同作業や講習会,セミナー,ディスカッションのために出入りしている。研究室からは陽光にきらめくおだやかな瀬戸内海が間近に見えるのが,瀬戸内海沿岸出身の筆者にはちょっとうれしい。

1兆の1万倍(10の16乗)を1京という。「京」(英語表記ではK-computer) は1秒間に約1京回の四則演算を行う能力があることから,この名がつけられた。1年半で性能が2倍になると言うコンピュータ業界のこと,ハードウェアの完成から半年以上たちランキング上の指標では世界一の座を奪われてしまったが,いまだに世界トップクラスの性能と安定性を誇る,たいへん優れたスーパーコンピュータである。

「京」の実体は約80,000個の国産CPUが接続された並列計算機である。これを使うには,計算内容を分割して別々のCPUに担当させ,ときどき相互に通信してデータを同期させる必要がある。社会経済が発達して規模が大きくなれば流通・交通の役割やコストが増すように,CPU数が増えればそれだけデータ通信の速さが重要になる。「京」ではCPU間のデータ通信を高速に行うため,なぜかToFu (Torus fusion) というやわな(柔軟な?)名前のつけられた,日本オリジナルの高速内部ネットワークが搭載されている。さらに実計算でマシンの性能を引き出すには,ソフトウェアも通信量を極力減らすような書き方をする必要があって,ソフトウェア開発者の苦労は並大抵のものではない。そこで人材を育て,分野を振興し,「京」を戦略的に使いこなして成果をあげるため,「生命科学・医療」,「新物質・エネルギー」,「防災・減災」,「ものづくり」,「基礎科学(素粒子・原子核・宇宙)」の5分野で,いわゆる「戦略機関(実態は複数機関の連合体であるものが多い)」が選定され,全国から多くの研究者がその活動に参加している。

筆者が大学院生だった1980年代後半とくらべて,スーパーコンピュータの性能は100万倍以上になり,その性能を生かす数々の新しいシミュレーション手法が開発され,理論,実験と並ぶ第3の科学たる計算科学の守備範囲が広がってきた。「京」の開発と戦略機関の活動はこの流れをさらに加速し,新たな変革をもたらそうとしている。いっぽうで私のような物性理論の研究者は,いろいろと考え方を変えざるを得ない時代になった。これまでは低予算の個人研究だったものが,ことスーパーコンピュータに関しては,加速器や宇宙開発と同様のビッグサイエンスとして,広いコミュニティをまとめ社会的な合意を得ながら進めなければならなくなった。また大規模複雑なソフトウェアの開発にはコンピュータサイエンスの研究者や技術者との協力が必要になり,大きなチームを組んでソフトウェアを開発する例も増えてきた。分野の違いによる言葉の障壁や,価値観の違いを乗り越えるために,コミュニケーションを図る努力と忍耐力が要求されるようになった。

かくして「京」の周辺には,コンピュータといえどもネットワーク経由ではできない仕事の現場が生まれている。この分野を超えた研究者の出会いの場から,遠からず新しい科学が生まれることを期待したい。