シンガポールに新天地を求めて

吉戒 直彦(シンガポール南洋理工大学 化学・生物化学科 助教授)

図1

オフィスで分子模型を手に思案中の筆者

PROFILE

吉戒 直彦(よしかい なおひこ)

2000年
東京大学理学部化学科卒業。
2005年
東京大学大学院理学系研究科化学専攻博士課程中退。その後,博士(理学)。
2005年
同専攻助手。
2009年
シンガポール南洋理工大学化学・生物化学科助教授,シンガポールNational Research Foundationリサーチフェロー。

化学専攻助教を辞職し,シンガポールの南洋理工大学(Nanyang Technological University, NTU)に着任してからはや半年が過ぎた。NTUは2万人以上の学部生,約1万人の大学院生を抱える大規模な理工系大学だが,私の所属する理学院化学・生物化学科は2005年に設置されたばかりの新しい学科である。NHKで放送された「沸騰都市」をご覧になった方もいると思うが,シンガポールはいま国を挙げて研究開発分野の人材獲得に力を注いでいる。私は政府の若手研究者公募プログラムのひとつであるNational Research Foundation (NRF) フェローシップを受けて,2009年7月からNTUで研究をスタートさせることとなった。

化学専攻では学生時代から助手,助教として10年あまり物理有機化学研究室(中村栄一教授)に所属し,新しい有機合成反応,とくに有機分子の骨格をつくる上で重要な「炭素–炭素結合生成反応」を促進する触媒の開発を行っていた。医薬品や材料などわれわれの生活を支える合成化学品の8 - 9割は何らかの触媒を用いて作られている。しかし,今使われている触媒の多くはレアメタルとよばれる希少元素資源に依存しており,持続可能性に問題がある。そのような観点から,もっともありふれた金属である鉄を触媒に用いた新しい合成反応を中心に研究していた。触媒の研究は社会と密接に関わる実学的側面をもつが,同時に理学的な興味も大いに満たしてくれる。優れた触媒を開発するには,実験や理論を通して原子・分子の未知の性質を探求することが不可欠だからである。化学専攻在籍中は指導者や共同研究者に恵まれ,こうした研究を通して何度も興奮を味わうことができた。

転機は助手になって4年目に訪れた。NTUの奈良坂紘一教授(化学専攻名誉教授)から,NRFフェローに応募してみたら,との勧めをうけた。フェローには3年間で1億5千万円規模という若手研究者としては破格の研究費が支給されることを知ったが,シンガポールの研究環境や学生の質など,全く予備知識をもっていなかった。研究が軌道に乗ってきたところでもあり,正直なところあまり気が進まなかったのだが,中村教授の後押しもあって応募することにした。研究計画書による審査と現地でのプレゼンテーション・面接による最終審査を経て,フェローに選ばれることができた。最終審査では,シンガポールの人材獲得にかける熱意や,同年代の研究者,たとえば米国で研鑽を積んだ中国人のレベルの高さを実感した。それらに感化されてか,審査が終わったときにはシンガポールへ移ることへの迷いはほぼ吹っ切れていた。

日本とシンガポールの研究システム,環境や学生の違いは多々あるが,いくつか挙げてみたい。まず,日本の理系研究室が一般に教授を研究室主宰者とし,准教授や助教を加えたグループ型の研究体制をとるのに対し,シンガポールでは米国同様に教授,准教授,助教授各人が独立に研究を行う。この点は若手研究者にとってはリスクや責任を伴ういっぽうで,魅力であるのは間違いない。次に研究環境だが,こちらでは消耗品から装置類まで輸入に依存しており,国内在庫も限られている。したがって試薬では発注してから届くまで2,3週間は当たり前,1,2ヶ月かかることもざらにある。研究には予測不能な面がつきもので,アイデアが唐突に浮かぶこともある。日本ではたいていの試薬は数日以内に届くのだが,こればかりはどうしようもない。この環境に適応する術を模索しているところである。

大学院生の大半は中国,インドおよび近隣諸国からの留学生である。私のグループにはいま2人の中国人留学生がいるが,彼らの意欲は日本の学生に負けず劣らず高い。いっぽうで現地の学部生には,奨学金をもらう機会があっても進学せず,就職する道を選ぶ者も多いようである。政府がトップダウンで進める科学技術振興政策と,社会・国民の価値観の間にだいぶ温度差があると感じる。こちらから見ると,決して経済的支援が十分といえない現状にあっても大学院に進む日本の学生の研究意欲は本当に貴重だと思う。最近,事業仕分けの名のもとに大学院生への支援を含む科学技術予算を縮減しようという機運にあると聞くが,ぜひ大学院生や,これから大学院に進もうとする学生に希望を与えるような判断が下されることを願っている。