街の「しょくぶつはかせ」という仕事

有川 智己(鳥取県立博物館 学芸員)

図1

ドングリの野外観察会での筆者

PROFILE

有川 智己(ありかわ ともつぐ)

1997年
東京大学理学部生物学科卒業。
2003年
東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻博士課程修了。博士(理学)。広島大学大学院理学研究科生物科学専攻助手。
2004年
慶應義塾大学経済学部生物学教室助手。のちに助教。玉川大学非常勤講師兼任。
2008年
鳥取県立博物館学芸員。

「家の裏に白くて丸い大きなキノコが生えてきたんですけど,食べられますか?」博物館には多くの質問の電話がくる。やがて直径40センチはあろうという「オニフスベ」を抱えた女性が,子どもたちと一緒にやってきた。まだ弾力があって,きのこ図鑑によればまさに食べ頃だ。発生地の様子などを聞き,「どんな味だったかあとで教えてください」とお願いした。

「この木は何ですか」「これは珍しくないですか」「施設の池に藻が生えて困っているので退治方法を教えてください」「この水草が特定外来種かどうか鑑定してください」「黄色いヒガンバナって珍しいですか」「鳥取県にはこの種の記録はありますか」・・・。自由研究に取り組む子どもたち,散歩帰りのおじいさん,公共施設の管理者,県職員,地元の新聞やテレビの記者,他県の植物研究者など,質問や問い合わせはさまざまな人たちから寄せられる。じゃあ,一緒に図鑑を調べてみましょうか,ということもあるし,より適切な回答ができる研究者を紹介し,間を取りもつこともある。

私の勤める鳥取県立博物館は,自然,歴史民俗,美術の3つの部門をもつ総合博物館である。自然担当の学芸員は4名で,植物は私だけ。キノコも草も木も藻類も,私の受けもちである。博物館が収蔵している植物標本の管理も,常設展示の植物や海藻やキノコのコーナーの管理や更新も基本的に私の仕事である。博物館周辺でドングリや落ち葉を拾ってリースをつくる校外学習の手伝いもする。大きな漁港のある町から来た小学2年生たちから後日かわいい手紙がきた。「あり川先生は,どんぐりだけじゃなく,しょくぶつのこともくわしいしょくぶつはかせじゃないかと思いました」・・・。

私は大学院では,連携講座である国立科学博物館でコケ植物の系統分類学の研究をしていた。コケ植物は,れっきとした陸上植物ではあるが,維管束植物に比べてとてもマイナーなグループである。私は「植物博士」としてはかなり傍流の「こけ博士」なのだ。植物担当者に求められる仕事のほとんどは維管束植物(次に多いのは系統的に植物よりむしろ動物に近いキノコ)についてであって,コケに関することはとても少ない。

公立の博物館の学芸員は,全国的に名の通った大きな博物館以外では,中高の理科や社会科,美術等の教員や,一般職員が人事異動で就くことが多い。本当は学校現場に戻りたいと思っている先生たちが日々の業務をこなしているような博物館が多いようだ。いっぽう,研究ができ,研究や知識を生かすこともでき,企画展や普及行事などの「楽しそう」な仕事もある博物館学芸員という仕事に,憧れをもつ求職中の若手研究者も多い。最近,全国最少人口の鳥取県は,学芸員を公募で採用している。鳥取と何の縁もなかった私も,今では鳥取県民のために植物の専門家として働いている。

専門に特化した「こけ博士」に,総合博物館の学芸員の幅広い仕事がこなせるのか? 今のところ私の答えはyesである。学部や大学院などの研究生活で培った知識や経験が,直接仕事に生かせている。そして,研究者として培ってきた「人脈」が何よりの宝になっている。現役の研究者であるからこそ,自分の専門外のことを誰に聞き,頼めばいいのかがわかり,実際に頼むことができ,全国の水準を地域に還元することができるのだと思っている。だから現在でも,私の研究テーマはコケ植物に軸足を置いている。

理学部では学芸員資格に必要な単位を取ることができるが,実習などと時間割が重なることが多い。私は学部3年生の時,相談した教授に,「大学院で修士・博士をとれば学芸員資格はいらないよ」と言われ,在学中に単位をとらなかった。確かに学位取得者には学芸員資格を無試験で認定するような制度もあるが,数少ない学芸員公募の中には資格がないと門前払いとなるものも多い。私は結局,大学院修了後に玉川大学の通信教育課程で取得したが,学芸員に興味がある人は,学部か修士課程のうちに必要単位をそろえておくことをお薦めする。学芸員制度や博物館を取り巻く社会情勢は今後も大きく変わっていくと思われる。こまめな情報収集が必要であろう。