「伝える」科学から「伝わる」科学へ

井上 智広(日本放送協会 ディレクター)

図1

撮りたいイメージをカメラマンに伝える筆者

PROFILE

井上 智広(いのうえ ともひろ)

1996年
東京大学大学院理学系研究科地球惑星物理学専攻修士課程修了。修士(理学)。
1997年
同博士課程中退。NHK入局。福井放送局に着任し,地震防災・原子力・環境問題等の番組を制作。
2002年
東京・科学環境番組部に配属。「科学大好き土よう塾」,「サイエンスZERO」を経て現在は「ためしてガッテン」制作班に所属。

1995年,阪神淡路大震災。当時修士1年だった私は,地震直後の神戸に向かった。倒壊した高速道路,瓦礫と化した街並み…。地震を学びながら,その真の姿を初めて目の当たりにしたという思いは,ほとんどすべての地震学者の実感だったに違いない。淡路島を切り裂いた野島断層の真上に建ちながら,ほぼ無傷で残った住宅があった。断層から1キロも離れた家々が破壊されているというのに。通りがかりの老人の「なぜ?」という質問に,私たちは誰一人答えられなかった。老人は言った。「学者のくせに,そんなことも分かんねぇのか」。その捨て台詞は,私の心を揺さぶった。科学には答えられないことは山ほどあって,だからこそ研究しているのだ,と私は思っていた。しかし,必ずしも世の中はそうではない。問えば何でも答えてくれ,社会を救い,豊かにしてくれるのが科学。あの老人の失望感は,科学と社会の大きな溝を象徴していたと思う。

科学報道の多くは科学の成果を一般向けに翻訳して伝えるか,科学の失敗を責め立てるか,のどちらかだ。しかし大事なのは,何が疑問で,それをどんなやり方で,どこまで解明したのかという科学のプロセスであり,当時,それを伝えられる人物がいるとすれば,重鎮の域に達した大教授くらいだった。私はこれから何十年間,そのために大教授を目指すのか。いや,元より「伝えるためのプロ」が居ていいはずだ。自分はそれを目指せばいい!そんな青臭い思いで,マスコミ就職の王道も裏技も知らずに,雑誌・新聞・テレビの世界の門戸を叩いた。そして招き入れてくれたのがNHKだったのである。

最初に着任した福井放送局では,「のど自慢」の中継もやれば,スタジオに出演して教育問題のリポートもした。自分の知らない世界にも,伝えたいことはあふれていた。そして6年目,東京の科学番組専門の部署へ異動し,「サイエンスZERO」という番組の立ち上げに携わる。視聴者感覚のタレントを司会に起用し,工夫を凝らしたCGを設計し…と,科学をわかりやすく魅力的に伝えるノウハウは何となくわかってきたつもりでいた。ところが,である。次に担当になった「ためしてガッテン」という番組で,私はとても大切なことを学ぶことになる。それは,「伝える」のと「伝わる」のとは違う,ということだ。どんなにわかりやすく「伝えている」つもりでも,受け手にはそれが「伝わっている」のだろうか。たまたま興味のある人が見るだけなら,科学の閉鎖性は変わらない。誰にでも「伝わる」ために大事なことは何か。それが,「ガッテン」という番組のこだわりだったのだ。

たとえば,私は「美文字の書き方」を取り上げたことがある。あらゆるノウハウが巷にあふれているが,「そうすると,なぜ美しく書けるのか」については,ほとんど説明されていない。私の取材は,「そもそも“美しい文字”とは何か。美しくない文字とは何が違うのか」という疑問から出発した。書道家はもちろん,文字認識技術の工学者,読字能力を研究する脳科学者などと片端から議論を重ねる中で,ある仮説が見えてきた。「文字のすき間が均等だと,美しく見える」というものだ。ひたすら実験を重ね,その妥当性を検証していくディレクターの足取りそのものが「番組」になる。これはもはや「科学番組」ではなく,「番組という名の科学」と言っていい。「なぜ文字が美しく見えるのか」にガッテンした視聴者が,書道教室に通わずとも,たった1時間の追実験で見違えるほど美しい文字が書けるようになる。科学のプロセスを体験する歓びが,「伝える」を「伝わる」に変えた瞬間である。

畑は違えども,結局私は相変わらず視聴者のみなさんとともに「科学者」をやっているのだと感じる。その中でも,自分が「地震学」という一分野を深めた経験は,この上ない強みになっている。

現在,来年放送される巨大地震をテーマにした大型NHKスペシャルの制作に携わっている。私を突き動かした,あの大震災から15年目の企画だ。かつて,「研究者が安心して話せる取材者になれ」と私を送り出してくれた同僚や先生方が,変わらぬ笑顔で歓待してくれる。その期待は裏切れない。ここ一番の大勝負である。