インターナショナルな環境での石油探し

北沢 光子(シュルンベルジェ株式会社)

図1

ドウアラ(Doula, カメルーン)港にて。停泊中,外部者の侵入を防ぐため巡回中の筆者。

PROFILE

北沢 光子(きたざわ みつこ)

1999年
パリ南大学物理学科卒業。
2005年
東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。博士(理学)。
2006年
パリ地球物理研究所博士取得。
2006年
シュルンベルジェ株式会社入社。

石油は今の時代には欠かせないエネルギー源である。しかし,今のままの石油掘削技術では20年で採掘可能の油井が無くなるといわれている。シュルンベルジェ(Schlumberger)株式会社は,大手石油サービス会社のひとつであり,石油を採掘するまでのデータ,技術や技術者を石油会社に提供している。今までの技術では採掘不可能と言われている石油田をより詳細に検討し,新しい採掘方法のデザイン,必要となる機器開発を行っている。私は,石油田をイメージするための探査を行う部門に配属している。当社では,より精密な機器を開発するため,開発部門に配属される若手を現場に約18ヶ月送り込み,現場の状況を体験した後に,開発部門に戻り次世代の機器開発に従事させるという育成プログラムがある。私はそのプラグラムに参加し,同社が保有する探査船に乗船し,地震探査を実施しながら船上で観測データの処理を担当した。発注者である採掘企業の要求,フィールドワークの困難さや楽しさを体験した。航海と航海の間にできる乗船していない時期は英国のケンブリッジにある研究センターに配属され,企業での研究システムを学んだ。現在,私はオスロにある技術センターに勤務し,海底電磁気計観測データの検証と,より高品質なデータ取得のための研究を行っている。

当社に入社してからは日本にいる日は少なく,仕事仲間も西洋人やアフリカ人などが多く,日本人と仕事することは少ない。よく友達に「きつくないの?」,と聞かれる。“普通”の日本育ちの日本人にとってはこの外国付けの仕事環境と暮らしはきついかもしれない。しかし,私はフランス生まれ,フランス育ちの帰国子女である。パリ南大学卒業後,帰国し東大の地球惑星専攻に入学した。地球物理に進学した理由のひとつは,地物では国際協力が不可欠であり外国の研究機関との交流が多いからであった。修士課程の時からフランスと海底地磁気異常の共同研究をした。その時に徹底的に海洋底物理の基礎や観測術を叩き込まれた。博士課程ではパリ地球物理研究所に留学し,ヨーロッパ型の研究法を学んだ。ヨーロッパでは,日本と違って「休み」を大事にする。慣れるまでは,博士論文の審査間際でもバカンスは取る,という習慣には驚いた。日本では最長一週間程度が一般的であるが,ヨーロッパでは2~3週間が普通。その期間は,電話,メールが一切通じなく,音信不通状態。それでも指導教官は何も言わない。「それでいいの?」,と指導教官に聞いたこともある。「うん,研究は自己責任。本人が状況を一番理解している。休むのも大事,疲れていると新しい発想ができないからね」と言われた。「本当に?」と疑いながら,私もちゃんと土日や休暇を休んでみた。確かに短い時間で効率良く作業し,研究も良く進むようになった。研究が進まない時は散歩したり,映画などで気分転換し,研究と適度な距離を置き,違う視点から問題を見つめることができるようになった。いっぽう,日本では,手法や技術を正確に理解し,丁寧に問題点を解決することを覚えた。日本の「正確さ」とヨーロッパの「適度さ」は,当社で仕事をするためにはひじょうに役立っている。現在の職場では,多様な国籍の人たちと仕事をし,日本の常識が必ずしも通用する常識ではないこともあり,単純な作業や理論を最初から説明する必要にしばしば出会う。入社時には「仕事の効率が低下するのではないか」と焦った。そういう時にヨーロッパ流の適度さを思い出し,嫌な出来事は水に流し,考え方を切り替えた。今では仲間に説明するのは,自分の理解が正しいのかを確認するチャンスであると思えるようになった。丁寧に説明するのが億劫ではなくなり,ミスコミュニケーションによる失敗も少なくなった。また,問題が発生した場合,仲間も日本的な粘り強さで問題解決に取り組むことが多くなって来た。学生時代の私と比較すると,今の私は随分オープンマインドになって来たと感じる。それは,色々な人に触れ,自分の欠けている部分に気付き,少しずつ進化しているからだと思う。外国で多国籍会社で仕事するのは色々と精神的に辛いことが多いが,それ以上に日本では体験できない楽しく貴重な経験をしている。