創薬の第一関門を突破する

新美 達也(アステラス製薬株式会社)

図1

標的タンパク質に結合する化合物を解析する筆者

PROFILE

新美 達也(にいみ たつや)

1990年
東京大学理学部生物化学科卒業。
1995年
東京大学理学系研究科生物化学専攻博士課程修了。博士(理学)。
1995年
理化学研究所基礎特別研究員。
1995年
山之内製薬株式会社(現・アステラス製薬株式会社)入社。現在,同社研究本部化学研究所リード化学研究室所属。

私は現在製薬会社にてコンピューターを用いた研究に携わっている。「創薬」という生き物を相手にした学問にも情報工学は必要不可欠になっているが,いっぽうでまだまだ予測不能なことも多い。生き物の奥深さ・得体の知れなさを実感させられる毎日である。

現在おもに私が携わっているのは,「リード化合物」を創生するステップである。「リード化合物」とは,簡単に言えば,新薬候補化合物のことであり,疾患に関わる生体分子(標的分子,おもにタンパク質)の機能を制御することのできる物質(低分子有機化合物のことが多い)を指す。通常,このリード化合物を化学的に変換して活性向上・毒性低減を行い,さらに前臨床試験,臨床試験を経て,医薬品として発売される。いわば,長い研究開発における一里塚である。私はその中でもとくに,コンピューターを駆使して,標的分子の立体構造情報に基づいて,リード化合物の種となる化合物を予測・探索したり,その種化合物からの変換をデザインするという作業を担当している。私が入社した当時(1995年),タンパク質立体構造解析はまだまだ困難な作業であったが,その後の著しい技術革新と,国家プロジェクトの後押しとで,現在ではタンパク質立体構造情報はひじょうに豊富になっている。また,コンピューターの性能も当時とは雲泥の差である。となれば,コンピューターを用いた予測やデザインの精度は格段に向上しそうなものであるが,なかなか思うような結果にならないことが多い。「えっ,何で?」と思う回数が多すぎてすっかり打たれ強くなってしまった。

私が理学部生物化学科を志望したのも,もともとはこの生き物の奥深さに魅かれたからである。予測できない発見に巡り合える機会が多いのではないか,あわよくば自分のような浅学の人間にも大発見が可能ではないかと不遜にも思っていた(まったくの思い込みであったが)。いっぽうで,かなり早い時期から,民間企業への就職を考えていた。自分の知的好奇心ももちろんであるが,同時に,社会に目に見える形で貢献したいという希望もあり,その二つを考えると,製薬企業というのはもっとも魅力的な職種であると思えた。実際のところ,薬というのは製品になるまでに10~15年という期間がかかり,大部分の基礎研究は製品という果実に結びつかないまま終了してしまう。いざ就職して基礎研究に従事していると,「社会への貢献」を実感できる機会はそうそうあるわけではない。ただ,会社では生の患者さんの声を聞く機会などもあり,間接的とはいえ,社会に貢献できたことに幸せとやりがいを感じる瞬間である。

大学院時代は横山茂之先生のご指導のもと,タンパク質翻訳に関わる酵素による基質RNAの立体構造レベルでの認識機構の解析を,おもに核磁気共鳴分光法を用いて行っていた。現在の研究とは技術的には重なる部分も多いが,研究分野としてはあまり関連が無い。おそらく,現在理学部で研究に携わっている人が民間企業に就職した場合には,同様の状況に直面すると思う。しかしながら,研究分野は異なれど,当時の経験は現在の研究に大いに役立っていると感じている。

一つ目は「個人事業主としての自覚」。大学院での研究の主体はあくまでも自分である。テーマを選び,背景を勉強し,情報を収集し,実験を計画し,最終結果に責任をもつ。予算をとるために人に説明をする機会もある。私の場合,幸か不幸か,それほど競争の激しい分野の研究ではなかったので,研究も個人の裁量に任せてもらえたため,このような訓練を積むことができた。二つ目は「いれこむこと」。体力も意欲も時間も十分にあって,何も考えずに研究に没頭できる期間は本当に貴重である。自分の能力とその限界を身をもって知ることができた。三つ目は「応用研究の裏に基礎研究あり」。基礎研究のバックボーンの有無で,応用研究への理解度は大きく異なる。製薬会社は薬学部出身者が多いが,理学部出身でも強みを発揮できる場は十分にあると思う。

などと偉そうに書いたが,学部生・大学院生時代は楽しかった(多分に郷愁もあるが)。良い人・良い環境にも恵まれた。その感謝と当時の経験を胸に精進を重ねたいと思う。