サイエンスを知り,科学衛星をつくる

杉保 昌彦(日本電気株式会社),田枝 正寛(三菱重工業株式会社)

図1

図1:水星探査機MMO(京都大学生存圏研究所提供)。

図2

図2:ともに衛星の試験をする筆者ら。左から田枝,杉保。

PROFILE

杉保 昌彦(すぎほ まさひこ)

1998年
東京大学理学部物理学科卒業。
2000年
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻修士課程終了。
2003年
同博士課程修了。博士(理学)。
2003年
NEC東芝スペースシステム 株式会社入社。
2003年
日本電気株式会社入社。現在,宇宙システム事業部宇宙システム部所属。

田枝 正寛(たえだ まさひろ)

1998年
大阪大学理学部宇宙地球科学科卒業。
2000年
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻修士課程修了。
2003年
同博士課程修了。博士(理学)。
2003年
三菱重工業株式会社名古屋誘導 推進システム製作所に就職。

「なんで君がここにいるんだ?」と,お互いに顔を見合わせたのは約2年前だったと記憶している。場所は,宇宙開発研究機構宇宙科学研究本部(ISAS)の一室。その日はISAS水星探査プロジェクトが開発を進めている科学衛星(水星探査機,図1参照)の設計会議が行われていた。杉保は衛星全体のシステム開発者として,田枝は水星探査の為の観測装置開発者として参加していた。

杉保・田枝は,所属する研究室こそ異なるものの共にX線天体物理学を研究する研究室に所属していた同期であり,かつて,修論実験の為に一方の下宿に泊まり込んだこともあった。二人とも博士課程修了後,就職して別々の道を歩んだかのように見えた。しかしどこをどう曲ったのか,別々の会社でありながら,同じ衛星開発プロジェクトという「同じ道」を再び歩むことになったのである。

杉保は,子供のころから地球観測衛星で見た世界地図や地理に興味をもっていたが,年齢と共に物理学や宇宙に興味をもつようになった。大学院時代の研究テーマは,“X線観測による近傍銀河に見られる大光度X線源のサイエンス”,および “硬X線検出器の開発”を選び,装置開発や人工衛星運用の経験を活かして,人工衛星の開発という今の仕事をすることとなった。入社直後は地球観測衛星のシステムを担当し,約2年前から科学衛星のシステム担当となった。大学院の頃も現在も,開発した検出器や人工衛星の「宇宙に行って動作する」という目的が支えになっていることは変わらない。打ち上げ後に故障しても修理できないといった人工衛星ならではの特殊性はいくつかあるものの,その開発は地道な作業がひじょうに多く,メーカーにおける開発の中での特殊性は実は小さい。他の開発と違っているのは,その目的であると思っている。

いっぽう,田枝の大学院時代の研究テーマは,“X線観測による超新星残骸プラズマのサイエンス”,および “X線用CCDカメラ開発”であった。この分野の研究室に共通していることであるが,科学衛星を用いた天体解析(サイエンス)と,将来衛星の為の装置開発(エンジニアリング)の2つのテーマを研究することになる。要するに理学・工学両方を一度にできるような感じである。博士課程後の進路については,元々希望していた 「宇宙開発ができる場所」を大学・企業にこだわらず探した結果,今の会社がヒットした。企業への就職にあたっては,大学院時代の研究テーマのひとつである装置開発の経験が強力なアピールになった。そして,人工衛星の開発に従事する職場に配属され,今にいたる。“大学か”“企業か”という選択ではなく,「自分のやりたいことができる場所」という原点から出発することが,進路を決める上で重要と思う。

二人が偶然出会った設計会議の後,二人で企業間調整を行う機会が多くなり,通常なかなか進まないはずの調整が比較的スムーズに進むように感じる。やはり勝手知ったる仲だからか? いやいや,時々こっそり電話で本音を教えてもらえるからであろう。学生時代の友達は大切にするものである。

現在の私たちの業務と大学院での研究テーマとは「科学衛星」というキーワードで結ばれた,ひじょうに近い分野である。それでも,大学院で研究してきたサイエンスそのものが直接役に立ったという経験はほとんどない。ただ,大学院で「科学衛星を利用する」立場で研究していたことから,「科学衛星を開発する」立場になった現在において,利用する人をイメージしながら開発を進めることができているように思える。これは同じ会社のほかの人には絶対に真似できない,サイエンスをやってきたからこそ得られている大きなアドバンテージであると考えている。