「15分過ぎ」の歴史

「15分過ぎ」の歴史

遠藤 一佳(地球惑星科学専攻 教授)

図1

2011年度までの1時限から4時限までの各授業の開始時間の差異の合計(分)を東大の10学部間で比較し, UPGMA法によりクラスター解析を行った。東京開成学校系統(法・文・理学部)がひとつにまとまり,東京医学校系統(医学部)とは別のクラスターを形成する。スケールバーは10分を示す。

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私たちは歴史を背負って生きている。だから,現在の地球上の動物のDNAを比較するとカンブリア紀の動物のことが分かる。などと,こんなことをいつも考えているせいか,私は歴史あるものが好きだ。江戸の古民家とか。ヨーロッパの17世紀の音楽とか。グローバル化や効率化の名のもとに歴史ある地域的な文化遺産が破壊されることは痛ましい。その意味で,東大が今後も桜の季節に新年度を迎え,19世紀に東大が設置された記念日に当面は入学式を挙行していけそうな情勢になったことはよかった。だが,同じ東大でつい最近失われ,きっと長い歴史があっただろうに,とひそかに胸を痛めていることがある。

それは授業が午前10時きっかりでなく,15分過ぎに始まるという,ちょっと半端にも思われた理学部の授業の開始時間である。東京大学では各時限の開始時間が学部間でバラバラであった。そこで2012年度から少なくとも本郷キャンパス内では授業の開始時間を統一することになった。これに伴い,理学部では2限の開始時間が10時15分だったのが,10時30分へと変更された。医学部や文学部から理学部の私の授業を聴きにくる学生が現にいるくらいなので,確かにこれは合理的な措置であったといえるだろう。

しかし,それによって学部間のささやかな多様性は失われ,理学部で培われてきた10時15分始まりという授業開始時間の歴史に終止符が打たれた。本エッセイの校閲者に教えていただいた情報に基づくと,10数年前まで理学部の時間割は1コマ120分で,1限は8時から10時まで,2限は10時15分から12時15分までであったのが,10数年前に工学部と授業を相互に受けやすくするために1コマ90分に変更され,1限は8時30分から10時まで,2限は10時15分から11時45分までに変更されたという。いずれにせよ,2限は10時15分に始まっていた。

この授業開始時間は,少なくとも1949年の新制東京大学設立時まで溯るのではなかろうか。もしかするとそれは帝大時代にまで,果ては1877年の東京大学設立時にまで溯るかもしれない。さらに妄想を膨らませると,それは,当時モデルとされたドイツの大学に起源があるかもしれない (akademisches Viertel)。いずれにせよ,授業開始時間の歴史は資料などによって検証できるはずだ。

手元にある2011年度の理学部教務委員会の資料によると,統一前の授業開始時刻が理学部ともっとも類似していたのは工学部であり,1時限から5時限まで授業の開始時刻,終了時刻はすべて同じであった。これは,上述のように,10数年前に意図的に授業時間を揃えたことを反映する。授業開始時間が次に理学部に近いのは,文学部,法学部などの群であり,医学部の群がもっとも理学部から遠い(図参照)。これは,東京開成学校(法・理・文学部)と東京医学校(医学部)が統合されて東京大学が成立した史実と調和的であり,法,理,文学部の授業開始時間の類似性が1877年の東京大学設立以前にまで溯る可能性を示唆している。

ちなみに,30年前に私が東大理学部に進学した頃,教室談話会や各講座の談話会は4時15分始まりであった。なぜ4時や4時半始まりでなく,4時15分始まりなのか,当時も疑問に思ったし,今でも謎だ。これは上に述べた授業開始時刻の歴史と同根の問題かもしれない。

今回,授業の開始時間に関して何かのヒントが得られないものかと「寺田寅彦全集」にある日記と手帳を端から見てみた。結局「15分問題」について有益な情報は得られなかったが,1901年(明治34年)の日記に「物理談話会」との記述があり,「談話会」が100年以上の歴史をもつ言葉であることを知った。また,1912年(明治45年)には「地質談話会」との記述もある。34歳の寅彦は「地質談話会」にも出席していたのだ。

この由緒ある「地質談話会」も今はもうない。専攻合同で地質学教室が消滅してしまったこともさることながら,「談話会」という言葉が使われなくなり,同工異曲のものが「コロキウム」や「セミナー」などとよばれるようになったからだ。残念である。人はそれを単なる懐古趣味と言うかもしれない。しかし,本質は変わらないのに,うわべの変化に即答してしまった猿たちのありようを,古人は「朝三暮四」と呼んだのである。