気象少年の思い出

気象少年の思い出

蒲生 俊敬(大気海洋研究所 教授)

図1

本文中に紹介した雑誌COSMOSの1966年9月号の表紙。当時竣工したばかりの2代目凌風丸(気象庁)が誌面を飾っている。この迫力に満ちた海洋観測船の勇姿は, 8年後に大学院生として海洋研究所に進学することとなる私の未来を暗示していたのだろうか。
写真:一般財団法人 日本気象協会「COSMOS」1966年9月号より

夜の10時, NHKラジオ第2放送のスイッチを入れ,ほぼ45年ぶりに気象通報を聞いた。アナウンサーの懐かしい語り口「×××では北の風,風力3,曇り,14ヘクトパスカル,21℃・・・」に,時の流れが急に停止したような不思議な感覚をおぼえた。測候所の地名が昔と一部変わっていて少しまごついたものの,鉛筆を持つ手はなめらかに動き,昔と同じように天気図を描くことができた。

その日の昼下がり,自宅でぶらぶら休日を過ごしていた私は,ふと,部屋の片付けをしようかと思い立った。私の自由になる6畳そこそこの空間は,机や本棚やキャビネット類が壁を覆って乱立し,古いものと新しいものが無秩序に詰め込まれている。家族の評判も悪い。つい先日,妻から「あなたも還暦を過ぎたのだから,あとで子供達に迷惑をかけないよう,身のまわりを整理する心がけが必要よ」と言われたばかりだ。私も片づけは嫌いではない。不要品を選り分けてはごみ箱に放り込む作業をしばし続けた。

ごみ箱が満杯になり,そろそろ止めようかと思ったとき,ふいに,小さな雑誌の束と未使用の天気図用紙の綴りが目に飛び込んできた。雑誌の名はCOSMOS(コスモス)。私は思わず声を上げ,貴重な鉱石を掘り当てたように,それらを手にとりしみじみながめた。決して捨てるはずはない思い出の品々であるが,だいぶ以前から行方不明で,その存在を忘れかけていた。

中学生の頃の私は,「気象少年」(今風に言えば「おたく」)を謳歌していた。そのきっかけは,小学生のとき両親から与えられた「気象天文の図鑑」(小学館)にあるようだ。低気圧や高気圧の動きを知ることによって,天候の変化を説明し予測できることに強く興味をひかれた。

COSMOSは,日本気象協会が発行していた中・高校生向けA5サイズの月刊雑誌で,気象をはじめ地学に関する記事が充実していた。手になじむ薄さの雑誌で,通学の電車の中で気楽に読めた。当時は他に,岩波新書の「日本の天気」(高橋浩一郎著)や「台風の話」(大谷東平著)などをむさぼるように読んだ。

気象通報を聞いて自分で天気図を描きたいと思い,手引き書を入手して独習した。最初はラジオの速さについて行けず,いったん放送内容を表に書き取り,あとで天気図に落とす初心者向け用紙を使用した。やがてラジオを聞きながら直接天気図に書き込むことが苦でなくなり,上級者向け天気図用紙を使用するようになった。

夏から秋にかけて台風が発生すると,私の「おたく」度は急騰した。気象通報を欠かさず聞き,台風の中心位置,最低気圧,暴風圏の広さ,今後の予想進路など最新情報の取得に努めた。台風がいよいよ本土に接近すると,進路予想記事が新聞に載る。それを隅から隅まで読み,翌日切り抜いてスクラップブックに貼った。近接する二つの台風が相互に影響し合う「藤原の効果」という専門用語を新聞で知ったのもその頃である。

1966年9月発行のCOSMOSは台風の特集号だった。倉嶋厚さん(当時気象庁予報官)が,狩野川台風(1958年9月26日に伊豆半島に上陸,狩野川を氾濫させ,死者・行方不明1,269名の大被害をもたらした)にまつわる藤巻時男博士の逸話を載せていた。当時中学3年生だった私は,その記事に強くひかれた。狩野川の「中の島」にあった月ヶ瀬病院の院長であった藤巻博士は,日頃から蓄積していた気象観測データをもとに集中豪雨の規模と災害を的確に予測し,病院が濁流にのまれるわずか3時間前に,入院患者全員を無事高台に避難させたのだ。

「26日午後の天気図を描いたあと,気圧計を見ていた博士は,全員避難の決心をした」の行にふるえるほど感動した私は,「気圧計がほしい」の一念に駆られて日本気象協会まで出むき,アネロイド型気圧計を購入した。3,500円という高額の買い物だったことを今でも覚えている。

その後この気圧計が藤巻博士のような劇的な場面で役立つことはついになく,私の気象熱もやがてさめてしまったが,COSMOSのバックナンバーと天気図用紙に再会できたことは,私の今後の人生を少し豊かにしてくれそうである。