日光植物園と久保亮五先生,飯野徹雄先生

日光植物園と久保亮五先生,飯野徹雄先生

舘野 正樹(植物園日光分園 准教授)

理学部には小石川植物園と日光植物園の二つの植物園がある。都会のオアシスとして賑わうのが小石川植物園,自然の中にひっそりとたたずんでいるのが日光植物園だ。地味な印象の日光植物園だが, 113年の歴史をもつ。この間,多くの方々に支えられて少しずつ発展してきた。ここでは植物園を外部から支えてくださった二人の先生を紹介したい。

今から40年以上前,学部長だった物理学の久保亮五先生は日光植物園のことを心配され,わざわざ日光までおいでになった。先生は小石川植物園も頻繁に訪問されていて,二つの植物園の発展に尽力された。これだけならば殊更という感じだが,話はさらに続く。先生はご家族と一緒に日光にいらっしゃったのだが,当時のことを知る旧職員は先生の後ろでちょこまかと走りまわっていたお嬢様のことを覚えている。このお嬢様は久保多恵子(現在は多田多恵子)さんで,後に植物学教室に進学し,日光をフィールドとして研究し学位を取得することになる。現在は植物に関する多くの本をお書きになっていて,折にふれて日光植物園を宣伝して下さっている。久保先生親子二代にわたる植物園への貢献にはいくら感謝しても感謝しきれないものがある。

35年ほど前に日光植物園に教員ポストができたのだが,これにまつわる話も書いておきたい。当時の日本では,法律が整備されていないという理由で遺伝子操作が行えなかった。植物学教室の飯野徹雄先生は遺伝子操作に関する法律を作るために尽力され,その対価として文部省から日光の教員ポストを得た。飯野先生はミクロな分子レベルでの研究をされていたのにもかかわらず,個体から集団というマクロなレベルを扱う研究者のポストを作ったのである。生物学のミクロとマクロの分野の間には何かと齟齬が多く,ポストをめぐって綱引きもあった。そうした中で自分とは対極にある分野のポストを作られた飯野先生の度量には,今更ながらに感心する。

ついでに日光植物園の建物を紹介しておこう。図1は植物園のカラマツの木の上から見下ろした実験室と庁舎だ。手前の実験室は太平洋戦争中,今上天皇(当時は小学生)の勉強部屋として使われていた。空襲を避け,日光に疎開されていたのである。初めてのスキーが植物園だったというエピソードも伝わっている。奥の木々の間にのぞいている庁舎はもともと松平子爵家の別邸であり,築100年を越えている。現在は生物学科の野外実習などに使われている。

実験室も庁舎も,新しい理学部1号館と比べるとみすぼらしい。しかしそれについては何も言うまい。授業や会議のために本郷に出かけたとき,旧1号館の脇を通ることがある。何十年も前からお化け屋敷のようだった旧1号館だが,久保先生や小柴昌俊先生をはじめとする多くの物理学者がそこで輝かしい業績をあげていた。建物について文句を言ったら罰が当たる。

図1

図1:高さ21 mのカラマツの木の上から見下ろした日光植物園の実験室と庁舎。本文を読むと,私がこれらの建物についてやせ我慢をしているように思われるかもしれないが,それは違う。本当は,私は赤い屋根の小さな建物たちが大好きで,ずっとこのままでいて欲しいのである。

図2

図2:建物の写真が撮りたくてカラマツに登ったわけではない。樹木には自重や風などによる力学ストレスがかかっている。このストレスと樹形との関係を明らかにするためにカラマツに登り,カラマツの下から上までこの写真のように歪みゲージを取り付けた。これによって幹や枝に生じる応力を知ることができるようになった。樹木の個体全体に多数の歪みゲージを取り付け,応力をくまなく測定したのは世界で初めてのことだ。ゲージのメーカーは生きた木への取り付けという想定外の使用に困惑していたが,良い方法を考案してくれた。測定は現在も続いていて,結果を見るのが毎日楽しい。樹木の太い幹の場合,風速100 m/秒でも折れることはないようだ。