アルプスの国で計算物理の"最高峰"を究める

辻 直人(フリブール大学 ポスドク研究員)

図1

アルプスを背に

図2

研究室のメンバーと筆者(左から三人目)

私は2011年の春に理学系研究科で博士号を取得後,スイス連邦工科大学(ETH)にポスドクとして着任し早くも一年が過ぎようとしている。スイスと言えばアルプスの少女ハイジに代表される牧歌的な風景が思い浮かぶが,ここではそれとは対照的に世界中から集まった優秀な研究者が日夜競うように最先端の研究を行っている。ETHといえば,かのアインシュタインを輩出したことでも有名な伝統ある名門大学だ。このような環境に私が身を投じることになった理由は,大学院時代にさかのぼる。

私が大学院在籍時(青木研究室)に興味をもって研究を始めたのが,その当時(今でもそう言えるかもしれないが)まったく未開拓の分野であった強相関系の非平衡現象というものだ。強相関系とは,互いに強く相互作用し合う粒子が集まってできた量子力学的な集合のことだ。高温超伝導を始めとして,実に驚くほど多彩な物性がこの強い相関効果を起源にして発現する。このような系に光照射などをして非平衡状態に強く励起すると,物性はどう変わるか?新しい物性は生み出されるのか?というのが基本的な問いだった。光学技術の発展に伴って物質中の電子のダイナミクスが超高速の時間スケールで観測され始め,また冷却原子気体というまったく別の系でも時間発展が捉えられるようになり,新たな分野として登場しつつあった。何が出てくるかわからない,だからこそ無限の可能性を感じさせる魅力的なテーマだった。

ところがいざ問題に取り組んでみると,これが非常な難題であることがわかる。強相関というのは扱うのが難しいことが知られているが,さらに非平衡状態というこれまた物理で扱いにくい対象で,難しさの二乗といったところだ。そのような中でも自分で理論技術を開発し少しずつ研究成果が出始めた頃,連続時間量子モンテカルロ法という計算技術の提唱者のP. ヴェルナー(Philipp Werner)教授が研究室を訪れる。ちょうど彼も非平衡現象に興味をもっており意気投合して共同研究を始めることになり,そのまま彼の誘いを受けてETHで研究を続けることになった。

ETHでは計算機科学の大きなグループに属している。ALPSという物理計算パッケージの開発を中心的に行っていることでも有名だ。各部屋はガラス張りの現代的なデザインになっており,いつでも気軽に部屋にきて議論できるようになっている。世界中から研究者が日々訪れてセミナーが行われるため,ひとつの場所にいても実にさまざまな人と話をすることができる。研究作業はプログラムコードを書いてはバグ探しをするという忍耐を要する地味なものだが,その中から新しい物理を探し当てたときの感動は研究を支える大きな原動力になっている。中でも私が発見した電子間に働くクーロン相互作用を光によって斥力から引力にかえる機構は多くの人に興味をもって受けとめられ,ポール・シェラー研究所(PSI)で実験的な検証が進みつつある。研究に疲れた時は週末にアルプスを望みながらハイキングを楽しむことができるのも,スイスならではだ。氷河によって作られた独特の雄大な景観に思いを馳せ,研究のアイディア・英気を養う。

海外に身を置くことの意義,それは人とのつながりに尽きるのではないだろうか。物理の理論研究というのは言ってしまえばインターネット環境(と若干の計算機)さえあればどこでもできてしまうものだが,海外にいることでできるネットワーク,人との議論,そこから入ってくる情報というのは代え難いものである。ポスドク時代に共に切磋琢磨した仲間というのは一生の財産になるはずだ。日本から離れるというのは確かに勇気のいることだが,そこには海外でしか経験できない世界が待っている。

PROFILE

辻 直人(つじ なおと)

2006年 東京大学理学部物理学科卒業
2008年 東京大学大学院理学系研究科 物理学専攻修士課程修了
2011年 東京大学大学院理学系研究科 物理学専攻博士課程修了 博士(理学)
2011年 スイス連邦工科大学ポスドク 研究員
2012年 フリブール大学(スイス) ポスドク研究員