第4回

生物科学専攻

福田 裕穂(生物科学専攻 教授)

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赤門に近い,木立ちに囲まれた理学部2号館

図1:イチョウの精子(平瀬作五郎 作図)

東京大学には,生物学に関係する教員が千数百人いるという。生物科学専攻の教育を担う教員は80名弱である。決して多くはないが,他の専攻に比べて少ないわけでもない。それでは,たくさんの生物系の研究・教育組織の中で私たちの生物科学専攻は,何が特徴なのか,また,学生と一緒に何をしようとしているのか。私が水先案内となって,歴史を紐解いたり,先達や同僚の話を聞いたりしながら,読者の皆さんと,その答えを探しに行きたいと思う。まずは歴史からみてみよう。

歴史

生物学科の歴史は古い。1877年東京開成学校と東京医学校が合併して,東京大学が誕生するとすぐに理学部に生物学科が置かれている。その後,動物学教室と植物学教室それぞれが学科となり,1939年になると動物学科の人類学講座をもとに人類学科が創設された。この体制が長く続いたのだが,大学院重点化に伴い1995年に動物科学,植物科学,人類科学に,新たに創設された進化多様性生物学を加え,統合された生物科学専攻が誕生した。2002年度からは, 21世紀COEプログラム“「個」を理解するための基盤生命学の推進”を立ち上げ,生物化学専攻と共同して教育・研究を行っている。こうした最近の統合の流れは,生物の間の共通原理が次第に明らかになり,生物材料や生物手法を超えた共同研究や多様性も含めた広くて新しい教育が必要になったためであると考えられる。

さて,生物学科は,どのように世界の生命科学の研究・教育に貢献してきたのであろう。過去を振り返って例を挙げよう。明治も中頃になり,日本でも独自の研究が生まれようとしていた頃,平瀬作五郎,池野成一郎により相次いで,イチョウ,ソテツの精子が発見された(図1)。これは,世界で初めての種子植物における精子の発見であり,科学後進国であった日本の名を一躍有名にした。

竹脇潔は形態学・分類学一本やりだった時代から実験を主体とする現代動物学へと大変革を担った人物である。竹脇が内分泌腺の除去・移植実験などにより導き出した多くの内分泌現象の仕組みに関する考え方は,今日,先端的と考えられる研究にもいまだに多大な影響を与え続けている。同時代の鎌田武雄は,日本で初めて基礎生物学分野での生理学研究を開始した。1931年から2年間の英国留学中には,世界で初めて微細なガラス電極による膜電位測定に成功した。また, 1945年には,筋肉細胞内への注射実験により,筋収縮が細胞内イオン濃度上昇によって引き起こされるという当時では画期的な説を唱えるにいたった。この説の正しさは,60年代前半,江橋節郎(医学部教授)によって証明されることになる。

生化学も早い時期に生物学科で始まった。田宮博は,反応速度論的解析を導入し,植物における生命現象を定量的に扱うことを可能にした。これにより,光合成研究が生化学的な解析の対象となり,日本のお家芸としての光合成研究の礎となった。門司正三,佐伯敏郎は1953年に,自然環境下での植物群落の生産性を定量的に図示する方法(生産構造図)を考案した。この研究により,生態学は記述的学問から,物理の法則が成り立つ実証的学問へと変貌していくことになった。

鈴木尚は, 1961年に東京大学西アジア洪積世人類遺跡調査団を組織し,ネアンデルタール人骨の発見に成功した。また,数千点にのぼるわが国の旧石器時代から現代に至る人体骨格を収集し,とくに頭骨形態の時代的変化を明らかにした業績は,国際的評価が高い。この研究は1991年,埴原和郎によって日本人の「二重構造論」へと結実することになる。すなわち,埴原は,鈴木らの資料の歯および頭骨計測値の大規模な統計分析により,後期旧石器時代から先住の東南アジア系集団と,弥生時代以降に渡来した北東アジア系集団の間の混血によって現代日本人が形成され,その過程が今でも続いているという仮説を実証的に提示したのである。

集団から分子に至るまで,また人類から植物までの広い生命科学の分野で,本学科・専攻の研究者が世界の生命科学基礎研究のオピニオンリーダーとして活躍していたことがおわかりであろう。そしてこの伝統は,今なお続いていて,本専攻は日本における基礎生命科学の拠点となっている。

教育

本郷に進学すると,学生は,動物学コース,植物学コース,人類学コースに分かれて教育を受けることになる。しかし,授業のいくつかは共通授業となっている。それぞれのコースの定員は8,8,4名であるが,これまで通常は1.5倍程度の人数を受け入れてきている。生物学科の授業の特徴は,徹底した少人数教育と実習優先教育である。1学年の定員20名に対して,倍を超える47名の教員が生物科学専攻の専任教員であることを考えても,その少人数教育ぶりがわかっていただけるかと思う。ちなみに,東大理系の他の多くの学科は教員/学生定員は1以下である。

さてもう一つの特徴である実習優先は,この少人数教育とカップルしている。実習は各コースに分かれて行われるが,基本的に週4回か5回,午後中,通しで行われる。そこでは,生命科学の基礎的な実験方法・最先端の実験技術に加え,実験企画と考察の在り方を,少人数で徹底的に学ぶ。このほかに,動物学コースでは臨海実習が,植物学コースでは臨海実習と屋久島や日光での野外実習が,人類学コースでも野外実習が組み込まれており,野外での個体あるいは生物集団を対象とした実習を行う。こうした生物の多様性を実習することにより,広く・深い生物観が身に付くことになる。また,人類学コースでは,医学部以外では唯一,人体解剖実習を行う。こうした実習は単に技術の習得だけではなく,生物に直接接する機会を増やすことで,観念ではなく生きる実体としての生物を深く理解することも目的としている。本学科を卒業したあとで,研究者になる割合は高いが,それ以外の分野に進んだ場合でも,深い生物の理解は役立っていると評価が高い。

学部を卒業したあとで,8割ぐらいの学生は生物科学専攻に進学する。生物科学専攻の組織は基幹講座の教員(教授15名,助教授・講師15名)と理学系研究科附属植物園と臨海実験所を含む協力講座の教員(教授25名,助教授・講師23名)からなっていて,ひじょうに多様な先生の中から指導教員を選ぶことができる。生物科学専攻の修士受け入れ人数は各年61名,博士課程は40名で,学部学生定員に比べて,より多くの学生が大学院の門をたたく。大学院では,動物科学,植物科学,人類科学に,進化多様性生物学が加わる。進化多様性生物学は,新しい分野であるが,ゲノムから形態,集団遺伝学から分子生物学までの多様な切り口を使って,進化を研究・教育している。この進化多様性生物学講座には,国立博物館の研究者も多数参加している。

大学院では,自ら主体的に行う研究が中心となる。授業は,主として動物学,植物学,人類学,進化多様性生物学の分野から提供される。院生はこれを自由に選択して,受けることになる。それ以外に, 21世紀COEプログラムから,講義が提供されている。このうち,国際生命基盤学では,ホメオボックス遺伝子の発見者や世界的発生生物学教科書の著者など,世界的に著名な科学者による英語の講義が行われ,好評である。

大学院卒業後,多くの学生は研究者を目指す。1958年〜1994年の統計では,卒業生の60%が大学教員,15%がその他の研究員となっている。しかし,最近では,マスコミ関係や弁理士など,より多様な職種に就く傾向にある。

図2:スリムなテナガザル

図3:ミツバチ脳におけるエクダイソン‐情報伝達経路の役割。A.キノコ体におけるエクダイソン‐情報伝達系のモード転換(赤と青で模式的に示す)が,育児蜂から採餌蜂へのスイッチとして働く? B.エクダイソン‐情報伝達系の転写因子Mblk‐1がキノコ体の一部の神経細胞だけで発現している。Cは模式図

図4:植物の光環境への馴化応答は多様なスケールで起こる。

図5:中心子とカートホイール構造。bld10株の解析で同定されたタンパク質はカートホイールに局在する(電子顕微鏡像の黒い点が局在を示す)。

図6:小ペプチドの1つCLV3ペプチドによる茎頂分裂組織形成の抑制。Aは-CLV3,Bは+CLV3

研究

この10年余の間に単細胞からヒトに至るまで,多様な生物でゲノム塩基配列が決定され,これをもとにした網羅的研究や,属・科だけでなく動物・植物までをも超えた比較生物科学研究が進み,今,生物学はとてもエキサイティングな新しいステージにある。たとえば,従来は交流が難しかった分類学,生理学,遺伝学,進化学などをゲノムをもとに同じ土俵で語ることができる。私たち専攻はこの生物学の新しい流れの中でどこに行こうとしているのか。それを考えるために,以下に,生物科学専攻の最近の研究トピックスをいくつか拾ってみた。

集団・個体

サル:太ったテナガザルはいるのか?

石田貴文助教授らは,ヒトの皮膚色やサルの毛色について調べていた。大型類人猿が単調な色合いをしているのに対し,小型類人猿のテナガザル類の毛色が多彩であることに注目して,色素合成に関わる遺伝子を調べていたところ,テナガザルの仲間では10万塩基対ものゲノム領域がスッポリと欠失していることを見出した。おもしろいことに,この10万塩基対の中には脂肪代謝にかかわる遺伝子が含まれていた。大昔,テナガザルは地上性の肉食獣から逃れ,樹上を住み家としたと考えられている。テナガザルのスリムな体型(図2)は,枝から枝へと渉り歩く樹上生活に適し,その体型づくりにこのDNAの欠失が関与している可能性も浮かんできた。「色」という表現型を調べていたはずなのに,いつの間にかDNAという糸で「肥満」を手繰り寄せていたのである。

ミツバチ:変態ホルモンがミツバチの社会性行動も支配する

ミツバチの脳では,昆虫脳の高次中枢であるキノコ体が発達しており,その形態は分業に伴って変化する。久保健雄教授らは,ミツバチの社会性行動に関わる遺伝子の候補として,脳でキノコ体選択的に発現する遺伝子や,行動依存的に発現変動する遺伝子の網羅的検索と同定をした。すると,本来は昆虫が変態時に幼虫から成虫に形態変化する際に利用されるエクダイソン‐情報伝達系が,ミツバチでは成虫の行動変化(分業)をもたらすための脳のキノコ体神経回路の変容に利用されている可能性が示されたのである(図3)。

植物:光を有効に受け取るために,葉の内部から枝まで形を変える

植物は光をうまく受ける構造をしている。寺島一郎教授らは植物が光を受けるしくみと生態学的な意義を研究している。そして,分子,オルガネラ,器官レベルから,個体,集団レベルに至るまでさまざまな階層におけるこの光受容効率化のしくみを明らかにしつつある(図4)。たとえば,枝では,各葉が葉柄の光の方向に依存した成長反応によって,葉の相互被陰を最小とし,枝全体の受光効率を上げている。また,一枚の葉の内部には,明るい表側に柵状組織があり光を葉の内部に導き,暗い裏側には海綿状組織があり光を吸収し尽くす。裏から光を当てると海綿状細胞が柵状細胞化する,というように,これらのしくみには可塑性がある。

組織・細胞・分子

鞭毛の中心子をつくる謎に挑む

鞭毛・繊毛は動物の大切な運動装置である。鞭毛の基部に存在する中心子は,9本の短い微小管が円筒状に並んだ構造をもち,微小管細胞骨格形成の核として働く。中心子は細胞周期ごとに1回ずつ,既存の中心子の側面から出芽するように形成される。この「自己複製」の機構はまったくわかっておらず,現代細胞生物学の大きな謎とされている。広野雅文助教授・神谷律教授らは,多数のクラミドモナスの鞭毛のない突然変異体を探索して,中心子を完全に欠損した変異体(bld10株)を得ることに成功した。その変異体を解析したところ,中心子形成の最初期には,カートホイールという9本の放射状に並んだ繊維構造が現れるが,bld10株はその構成タンパク質に異常があることがわかったのである(図5)。この発見によって,中心子構築機構の中でもっとも謎の多い初期過程に関する手がかりが得られた。

新規小ペプチドホルモンが植物幹細胞の維持と分化を制御する

多細胞生物は細胞間で対話しながら多様な細胞からなる組織や器官を作り上げていく。動物の細胞間の対話は細胞同士の接着により行われることが多いが,植物は厚い細胞壁で2つの細胞の細胞膜が隔てられているため,接触による情報のやりとりができない。それでは植物の細胞はどのようなしくみで,情報のやりとりをしているのであろうか。私たち(福田裕穂教授ら)は,植物の単細胞分化転換誘導系を用いて,植物幹細胞の分化と維持に関する情報因子を探した。そして,12個のアミノ酸からなる小ペプチド(TDIF)を発見した。シロイヌナズナのゲノム上に存在する遺伝子をもとに,26種類の類似小ペプチドを化学合成し,その活性を調べた。すると,26種類の機能は多様であり,維管束,茎頂,根端の幹細胞機能を異なって制御することがわかり,植物幹細胞分化とその維持に関する研究のパイオニアとなった(図6)。

進化

双子葉植物と単子葉植物の雌しべの制御遺伝子は異なっている

25万種とも数えられている被子植物の花の形態はきわめて多様である。双子葉植物の間では,雌しべの発生はAG遺伝子によって制御されていることが知られている。ところが平野博之教授らは,単子葉類のイネ科植物では,まったく異なる遺伝子ファミリーに属するDL遺伝子が雌しべの発生をコントロールしていることを明らかにした。また,AG遺伝子は幾つかの機能を担う多機能遺伝子であるが,イネでは,AGに相当する遺伝子が遺伝子重複により2つになり,それぞれの遺伝子が雌しべの発生とは無関係の異なる機能を分担するよう進化してきたことが判明した。このことは,植物における遺伝子重複とその後の進化を考える新しい視点を提供した。

それぞれが,オリジナリティーの高い先端的な研究であり,研究者が楽しんで研究をしている様子が伝わってくる。生物科学専攻の研究は,ゲノム,遺伝子,タンパク質,分子生物学,細胞生物学などのどちらかといえば還元的な対象・手法を乗り越え,生き物固有の生き生きとしたシステムを明らかにすることを目指して展開されているようである。

最後に

生物科学専攻は東京大学内に数多ある他の生物学関係の専攻と何が違っていたのだろうか。答えは,読者の皆さんにお任せするとして,これだけは言っておきたいと思う。私たちの専攻では,個としての生物/生命に対する深い敬意のもとに,生物の研究・教育を行っていることである。すぐに役に立つことが科学の使命であるように言われているのだけれど,私たちは真に人類に役立つことを目指して,研究を行っている。真に人類に役立つこととは,深い真理を明らかにすること以外にないという信念に基づいて。