2019/08/19

生体膜におけるリン脂質輸送メカニズムの解明

 

平泉 将浩(生物科学専攻 社会人博士課程
/田辺三菱製薬株式会社創薬本部創薬基盤研究所 研究員)

山下 恵太郎(生物科学専攻 助教)

西澤 知宏(生物科学専攻 助教)

濡木 理(生物科学専攻 教授)

 

発表のポイント

  • リン脂質二重層である生体膜において、細胞内外の脂質層の非対称性を維持するフリッパーゼであるP4-ATPアーゼの立体構造を解明しました。
  • 世界で初めてリン脂質を輸送する時のさまざまな状態の立体構造を捕らえ、リン脂質の詳細な輸送メカニズムを解明することに成功しました。
  • P4-ATPアーゼの遺伝性変異が神経系疾患や代謝疾患に関与していることから、これらの疾患の理解につながることが期待されます。

 

発表概要

生体膜はリン脂質二重層によって形成され、細胞外側の層(外葉)と細胞質側の層(内葉)で異なるリン脂質が分布することで、さまざまな生体反応に関与しています。P型ATPアーゼ(注1)の1つであるP4-ATPアーゼはCDC50と呼ばれるアクセサリータンパク質と複合体を形成し、外葉から内葉へのリン脂質の輸送を仲介することで、生体膜の非対称性を維持していることが知られています。しかし、リン脂質を輸送するP4-ATPアーゼの基質認識と輸送機構は明らかにされていませんでした。

今回、東京大学大学院理学系研究科の濡木教授らのグループは、ヒトが持つP4-ATPaseとCDC50の複合体の立体構造を、クライオ電子顕微鏡(注2)を用いた単粒子解析法(注3)によって明らかにしました。また、P4-ATPアーゼがATPを利用してリン脂質を輸送する過程の複数の状態の立体構造を明らかにすることで、リン脂質の輸送機構を解明することに成功しました。その結果、リン脂質の親水性部位がP4-ATPアーゼのもつ親水性の溝を通過することで、リン脂質が外葉から内葉へ輸送されることがわかりました。このようなリン脂質の輸送は、新規な機構であり、P4-ATPアーゼの変異による疾患のさらなる理解につながると期待されます。

本研究成果は日本時間2019年 8月16日に米国科学雑誌 Science First Release版でオンライン公開されました。

 

発表内容

真核細胞の生体膜はリン脂質二重層によって形成され、細胞外側の層(外葉)と細胞質側の層(内葉)はさまざまな種類のリン脂質によって形成されています。外葉と内葉では脂質組成が異なっており、このことはさまざまな生体反応に関与しています。たとえば、ホスファチジルセリン(PS)の多くが内葉側に存在しますが、この非対称性が崩れてPSが外葉側に露出することでシグナル伝達や免疫応答を引き起こします(図1)。

図1.細胞におけるホスファチジルセリン(PS)の非対称分布とフリッパーゼによるフリップ

 

したがって、PSが外葉に存在すると過剰な応答を起こしてしまうため、PSを内葉側に局在させるための仕組みが存在します。P型ATPアーゼの1つであるP4-ATPアーゼはこのようなPSの非対称分布の維持に関わるフリッパーゼ(注4)としてはたらくことが知られています。ヒトは14種のP4-ATPアーゼを保持し、多くはアクセサリータンパク質であるCDC50ファミリーと複合体を形成することで、適切な組織で発現してフリッパーゼ活性を持ちます。P4-ATPアーゼのうち最初に同定されたATP8A1は、PSを特異的に外葉から内葉へ輸送することでその生体膜の非対称性を維持しており、ATP8A1ノックアウトマウスは海馬ニューロン細胞膜の外葉におけるPSの露出が亢進して、海馬依存性の学習障害を示します。また、その類似タンパク質であるATP8A2の遺伝子変異は神経系疾患であるCAMRQを引き起こし、ATP8B1の遺伝子変異はBRIC1およびPFIC1として知られる代謝性疾患を引き起こすことが知られています。

P型ATPアーゼはこれまでに、筋小胞体Ca2+ポンプ(SERCA)やNa+/K+‐ATPアーゼなどの金属イオンを基質として輸送するP2-ATPアーゼのメカニズムに関しては詳細に研究がされてきましたが、P4-ATPアーゼのように非常に大きな分子であるリン脂質を輸送する仕組みは不明なままでした。

今回、東京大学大学院理学系研究科の濡木理教授らの研究グループはクライオ電子顕微鏡を用いた単粒子解析法を用いて、ヒト由来のATP8A1-CDC50aの立体構造を原子分解能で決定しました(図2)。

図2.ATP8A1-CDC50aのトポロジー図 (A)とクライオ電子顕微鏡構造 (B)

 

得られた立体構造から、ATP8A1はP型ATPアーゼ構造を示し、3つの大きな細胞質ドメイン(A:アクチュエータドメイン、N:ヌクレオチド結合ドメイン、P:リン酸化ドメイン)と10本の膜貫通ヘリックス(M1~10)から構成されます。一方、CDC50aはN末端とC末端に2つの膜貫通ヘリックス(TM1およびTM2)を持ち、ATP8A1と細胞外・膜貫通・細胞内領域を介して強固な複合体を形成しました。

さらに、P4-ATPアーゼは、ATPアーゼドメインがATP加水分解に共役したリン酸化と脱リン酸化による構造変化を伴うことでリン脂質を輸送すると考えられていましたが、ATP結合状態を模倣するATPアナログ(AMPPCP)、リン酸化状態を模倣するアルミニウムフロライド(AlF4-)やベリリウムフロライド(BeF3-)を用いて、リン脂質輸送における異なる中間体の立体構造を明らかにすることで、リン脂質の輸送機構を解明することに成功しました(図3)。

図3.ATP8A1-CDC50aの輸送サイクル
ATP8A1-CDC50aの6つの異なる中間体をリン脂質輸送サイクル中で示す。

 

リン酸化された状態では、基質であるリン脂質が結合しやすい状態になっており、Aドメインが約22°回転することで膜貫通ヘリックス(M1、M2、M4、M6)が親水的な溝を形成し、そこにPSの親水性部位が結合することがわかりました(図4)。

 

図4.リン脂質の認識
(A)リン酸化E2状態およびPS結合脱リン酸中間体E2状態の構造比較。PS結合時のM1-2およびN-ドメインおよびA-ドメインの構造変化を示す。(B)結合したPSの由来の密度マップを示す。(C) 疎水性ゲートを構成する残基及び、推定されるPSのフリップ経路をオレンジ色の矢印で示す。

 

結合したPSは疎水性ゲートによって細胞外側に留められた状態であったが、リン酸が完全に外れることで疎水性ゲートが開き、PSは外葉から内葉へと輸送されることが示唆されました。このようなリン脂質の輸送は、新規な機構であり、P4-ATPアーゼの変異が原因となる疾患のさらなる理解につながると期待されます。

本研究は、日本学術振興会における科学研究費助成事業の特別推進研究「物理刺激で制御される膜蛋白質の分子機構の解明」(研究開発代表者:濡木理)の一環で行われました。また、本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)「創薬等ライフサイエンス研究支援基盤事業」の一環として、クライオ電子顕微鏡などの大型施設の外部開放を行うことで優れたライフサイエンス研究の成果を医薬品等の実用化につなげることを目的とした「創薬等先端技術支援基盤プラットフォーム(BINDS)」の支援により行われました。

 

発表雑誌

雑誌名 Science
論文タイトル Cryo-EM structures capture the transport cycle of the P4-ATPase flippase-
著者 Masahiro Hiraizumi, Keitaro Yamashita, Tomohiro Nishizawa* & Osamu Nureki*
DOI番号
論文URL https://science.sciencemag.org/content/early/2019/08/14/science.aay3353

 

用語解説

注1 P型ATPアーゼ

P型ATPアーゼによる物質輸送は、細胞質のATPアーゼドメイン内のATP加水分解に共役したリン酸化と脱リン酸化が、基質に対して異なる親和性をもつ2つの中間状態(E1とE2)の間の遷移を仲介することで、生体膜を横切る基質輸送を可能にする。

注2 クライオ電子顕微鏡

液体窒素(-196℃)冷却下でタンパク質などの生体分子に対して電子線を照射し、試料の観察を行うための装置。タンパク質の立体構造を高分解能で決定する手法として、検出器などにおいて目覚ましい技術革新を遂げており、2017年に、その開発に貢献した海外の研究者三名にノーベル化学賞が贈られた 。

注3 単粒子解析法

電子顕微鏡を用いて撮影した多数の生体高分子の像からタンパク質の立体構造を再構成することで、タンパク質などの生体高分子の立体構造を決定する手法。

注4 フリッパーゼ

生体膜の脂質二重層において細胞質側の層(内葉)とその反対側の層(外葉)を考えたときに、外葉から内葉へのリン脂質の輸送はフリップと呼ばれ、この反応を進める膜タンパク質はフリッパーゼと呼ばれる。フリッパーゼは、ATP加水分解等のエネルギーを使い濃度勾配に逆らって特定のリン脂質のフリップを行い、非対称なリン脂質組成を維持する。

―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―