2018/02/15

スピン-軌道量子液体の発見

 

北川 健太郎(物理学専攻 講師)

髙木 英典(物理学専攻 教授/独マックスプランク固体研究所 所長)

 

発表のポイント

  • 磁性体中の磁気モーメントが極低温まで自発的対称性の破れ(磁気秩序)を示さず、量子力学的に揺らいでいる新奇な液体状態をイリジウム化合物において発見。
  • ハニカム格子(蜂の巣)上に置かれた磁気モーメントの間に隣り合うモーメントが特定の方向を向く相互作用があるときに出現すると理論的に指摘され、現実の物質での実現が期待されていた。
  • 本物質を舞台に、液体の背景に潜むとされる新奇な励起(さざなみ)の探索が本格化することが期待される。

発表概要

東京大学大学院理学系研究科物理学専攻の北川健太郎講師と髙木英典教授は、独マックスプランク研究所高山知弘グループリーダー、松本洋介研究員、George Jackeli研究員らとの国際共同研究により、磁性イオンがハニカム(蜂の巣)格子(注1)をなすイリジウム化合物H3LiIr2O6がスピン-軌道量子液体であることを発見しました。イリジウムイオンの磁気モーメント(注2)は電子のスピンと原子の周りの軌道運動のモーメントの結合からなります。これがハニカム格子上に置かれると量子液体(注3)と呼ばれる新奇な状態が発現し、そこにはマヨラナフェルミ粒子(注4)してふるまう奇妙な励起(さざなみ)が存在することが理論的に指摘されていました。このため量子液体実現をめぐって世界的な物質開発競争となっていました。研究グループは、H3LiIr2O6において電子スピンと軌道モーメント複合体である磁気モーメントが、極低温まで凍結せず、量子的に揺らいだ液体状態にあることを実験的に明らかにし、スピン-軌道量子液体が実現していると結論しました。本研究成果は英国科学誌Natureの2018年2月15日号に掲載されました。

発表内容

固体中の磁性イオンの磁気モーメントの向きが定まった状態を磁気秩序と呼びます。磁気モーメントがすべて同じ方向に向き、有限の磁場を生じる強磁性体が最も身近な磁気秩序の例です。ほとんどすべての磁性体において、熱ゆらぎが支配する高温の非秩序状態は、磁気モーメント間の相互作用により自発的対称性の破れを起こし、低温で磁気秩序状態へと相転移します。これに対して「量子スピン液体」は、通常の磁性体のように相転移(自発的対称性の破れ)を起こすことなく、絶対零度で磁気モーメントが量子力学的に揺らいだ状態です。磁性体の示すきわめてエキゾチックな状態として、物質科学分野で近年注目を集めています。ヘリウム原子集団が量子効果により絶対零度まで固体にならず例外的に液体状態を保つことが知られていますが、その磁石版が「量子スピン液体」であるといってよいかもしれません。一見、何も起きない「無」の世界ですが、そこに「励起」と呼ばれるさざなみを立てると、背景に隠れていた奇妙な粒子(準粒子)が見えてきます。

今から10年ほど前、米国カルフォルニア工科大学のキタエフはハニカム格子上に置かれた磁気モーメントの模型を考案しました。ある磁気モーメントと隣り合う磁気モーメントとの間には特定の方向にモーメントの向きをそろえる力が働いています。その力の向きがハニカム格子の三つの隣接磁気モーメントごとに異なり、直交していたとします。すると、磁気モーメントは三方を同時にたてることができず、向きを決めるのが困難になります。キタエフはこの模型を二種類のマヨラナフェルミ粒子(注4)を使って表現し、向きを決める困難により、絶対零度(基底状態)が量子スピン液体となることを示しました。量子スピン液体状態が厳密解として得られ、そこにマヨラナフェルミ粒子が登場することから、キタエフの理論模型は多くの関心を集め、模型の状態を現実の物質で実現することが模索されるようになりました。

イリジウムやルテニウムのような重い元素からなる磁性イオンでは、電子のスピン、モーメントと原子の周りの軌道運動のモーメントの二つの磁気モーメントが強く結合し、一つの磁気モーメントを形成します。このスピン-軌道磁気モーメントの間にはある一定の条件の下で、キタエフ模型で議論されるような特定の方向に向きをそろえる相互作用が働きます。これに着目して、イリジウムやルテニウムからなるさまざまなハニカム格子化合物が候補として提案され、キタエフ量子スピン液体の探索が世界中で行われてきました。残念ながら、これまで調べられた物質では、低温で自発的対称性の破れ、すなわち磁気秩序が観測され、量子スピン液体状態でないことが明らかとなりました。

国際共同研究チームは、今回磁性イリジウムイオンがハニカム格子を形成する複合酸化物H3LiIr2O6に新たに着目しました。磁化率、比熱、核磁気共鳴測定において、これまで調べられた候補物質とは対照的に、H3LiIr2O6は50mKの極低温まで磁気秩序を示さないことを見出しました。高温では熱的に揺らいだ磁気モーメントが捉えられています。極低温で磁気モーメントがその姿を消すことは、量子的に揺らいだ液体状態にあることを示しています。電子スピンと軌道モーメントの複合体からなる磁気モーメントが織りなす量子液体状態の発見です。本成果は物質中の相互作用する電子が創る新奇な凝縮相の発見として、物性物理学、物質科学の分野に大きなインパクトをもたらします。これを出発点としてマヨラナフェルミ粒子など新奇な励起(さざなみ)の探索へと研究が進むことが期待されます。

 

図:スピン軌道量子液体のイメージと舞台となる物質H3LiIr2O6の結晶構造。
水色のボールはスピン軌道磁気モーメント(オレンジ矢印)の担い手であるイリジウムイオン。赤、青、緑の三つの結合はそれぞれ異なる方向に揃えようとするので、磁気モーメントは方向を定めるのが困難である。そのため低温で磁気モーメントが量子力学的に揺らいだ状態が実現する。

 

発表雑誌

雑誌名 Nature
論文タイトル A spin–orbital-entangled quantum liquid on a honeycomb lattice
著者 K. Kitagawa, T. Takayama, Y. Matsumoto, A. Kato, R. Takano, Y. Kishimoto, S. Bette, R. Dinnebier, G. Jackeli, & H. Takagi
DOI番号 10.1038/nature25482.
論文URL https://www.nature.com/articles/nature25482

 

 

用語解説

注1 ハニカム格子

グラフィンなどで実現する蜂の巣状の結晶格子構造。ハニカム格子上の電子は質量ゼロのディラック電子として振る舞うなど、奇妙な状態がしばしば発現する。

注2 磁気モーメント

磁性イオンは小さな磁石である。その磁石のことを指す。その起源は電子自身の有する小さな磁石(電子スピン)と原子の周りの軌道回転(軌道モーメント)が作る磁石である。この場合の磁石は、電子スピンと軌道モーメントが重ね合わされてできている。

注3 量子液体

磁性体で磁気モーメントの向きが定まった秩序状態は原子の位置が定まった固体状態とのアナロジーで捉えられる。これに対応する形で、量子力学的に揺らいで方向が定まらない状態を量子液体状態と呼ぶ。磁気モーメントが電子スピンだけからなる時は、量子スピン液体と呼ばれることが多い。

注4 マヨラナフェルミ粒子

イタリアの物理学者マヨラナが1937年に導入した粒子と反粒子が同一である奇妙な中性粒子。

 

―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―