神経系が刺激強度を記憶するメカニズムを解明
飯野 雄一(生物科学専攻 教授)
発表のポイント
- ジアシルグリセロールという生体分子が感覚刺激の強さの記憶に関わることを発見した。
- 感覚刺激の「種類」の弁別のしくみはよく研究されてきたが、その「強さ」がどう記憶されるかはほとんど知られていなかった。線虫という生物を用いることにより、刺激の強さを記憶し、それに従って行動を変化させる分子的なしくみが分かった。
- ジアシルグリセロールは生物の細胞膜が共通に持つ生体分子であり、いろいろな機能調節に働くことが知られている。今回発見されたしくみは他の生物でも用いられている可能性が高い。
発表概要
- 線虫は餌があったときの塩の濃度を記憶して、記憶した濃度のところに集まることが知られていましたが、そのしくみはわかっていませんでした。東京大学大学院理学系研究科の飯野雄一教授と大野速雄特任助教らのグループは、線虫が濃度を記憶するのに大事な生体分子をみつけました。
- 分子プローブを用いてジアシルグリセロールの量を測定したところ、線虫が感じる塩濃度の変化に応じてジアシルグリセロールの量が変化することが見つかりました。ジアシルグリセロールの量の大小によって、線虫が行動の方向を切り替えることもわかりました。
- これによって、動物が感覚刺激の強度を記憶して神経回路での情報の流れを変化させる基本的なしくみが分かりました。ジアシルグリセロールは広く生物界に存在する生体分子ですので、神経機能が適応的に変化する基本的なしくみとして、さまざまな生物で同様の機構が使われているかもしれません。
発表内容
動物は周りの環境からいろいろな刺激を受け、それらに対して最適な行動をすることによりうまく生き残っています。例えば、餌が得られた場所の匂いを覚えていて再度その場所に餌を探しに来るという行動がよくみられます。一方、痛い思いをしたらその場所には近寄らなくなります。このように、動物は匂いや味その他の感覚刺激について、「好ましい」、「避けるべき」ということを学習しますが、感覚の種類だけでなく、感覚の強さについても学習が起こることがいくつかの例で分かっていました。しかし感覚の強度をどのようなしくみで記憶できるのかはあまり分かっていませんでした。
今回、飯野教授らのグループは、線虫(注1)という、神経の機能を分子のレベルで解明するのに適した生き物を使って、塩の濃度の記憶の機構の解明に挑みました。線虫は、餌があったところの塩の濃度を記憶して、ちょうどそれと同じぐらいの塩濃度のところに移動するように行動します。これを起こさせる機構を解明するために、ジアシルグリセロール(DAG、(注2))という生体分子に注目しました。ジアシルグリセロールは細胞膜の成分のひとつですが、二次メッセンジャー(注3)としていろいろな細胞機能の調節に関わっていることがよく知られており、線虫の神経の働きにも影響を与えることがわかっていました。
そこで、研究グループは、実際にジアシルグリセロールの量がいつどこでどのように変化するのかを調べることにしました。この研究の成功の鍵となったのは、分子プローブ(注4)と呼ばれる研究ツールです。GFP(緑色蛍光蛋白質)の発見以来、蛍光を用いた分子プローブはさまざま開発が進んでいますが、今回使ったのはジアシルグリセロールの量によって蛍光の強さが変わる、Downward DAG2という分子プローブです。これを用いて観察したところ、塩を感じる感覚神経が他の神経に接続している場所(プレシナプス)で、Downward DAG2の蛍光の強さが変化することがみつかりました(図1)。
図1 分子プローブによりジアシルグリセロールの量をはかる
上部は、感覚神経のシナプス部位(紫色)でのDownward DAG2の蛍光(緑色)。Downward DAG2は、ジアシルグリセロールの存在下では蛍光が減少するような性質を持つ。ジアシルグリセロールが増加すると、線虫は塩濃度の高い方に移動する。
実験の結果、線虫が感じている塩の濃度が下がるとジアシルグリセロールの量が増え、塩の濃度が上がるとジアシルグリセロールの量が減ることがわかりました。塩を感じることによって感覚神経の活動の大きさが変化し、それによってジアシルグリセロールの量が変化することもわかり、その変化には細胞膜のリン脂質からジアシルグリセロールを切り離す働きをする酵素(PLC)が大事な働きをしていることがわかりました。
一方、遺伝子操作の実験から、感覚神経でジアシルグリセロールの量を人工的に増やしてやると、線虫は塩の濃度が高い方に向かい、量を減らしてやると、塩の濃度が低い方に向かうことがわかりました。ジアシルグリセロールは神経同士の情報の伝達を行うシナプス伝達を制御することが分かっていますので、ジアシルグリセロールの量が変化すると、感覚神経から他の神経への情報の伝わり方が変化して行動が変化するのだと考えられます。「塩濃度の変化→ジアシルグリセロールの変化→行動の変化」という関係が明らかになったことにより、以前に経験していた塩濃度のところに戻っていく仕組みが理解できました(図2)。
図2 線虫が記憶した塩濃度に向かうしくみ
塩濃度が変化すると、ジアシルグリセロール(DAG)の量が変化し、それによって線虫はもといた塩濃度の方に向かう。
ところで、線虫は塩の濃度を、餌の手がかりとして覚えています。もし餌がないところに置かれていたら、そのときの塩濃度からは逃げるようになります。研究グループは、このしくみについてもヒントを得ました。餌がない状態で置かれていた線虫では、塩の濃度が変化してもジアシルグリセロールの量は少ししか変化せず、すぐにもとに戻ってしまいました。そして、ジアシルグリセロールの変化を小さく抑えているのはインシュリン受容体の働きだったのです。感覚神経はインシュリンの働きによって餌の状態を感知し、ジアシルグリセロールの変化量を変えることによって、行動の変化を引き起こしていたのです。
今回の発見は、非常にシンプルなしくみによって感覚神経が感覚刺激の強さを記録できることを示し、動物が、周りの環境によって臨機応変に行動を変えるしくみのひとつを解き明かしたものです。ジアシルグリセロールはあらゆる動物が共通にもつ生体調節分子ですので、同様な機構がヒトを含む哺乳類でもさまざまな場面で使われている可能性があり、今後の神経機能の理解につながることが期待されます。
発表雑誌
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雑誌名 Cell Reports 論文タイトル Dynamics of Presynaptic Diacylglycerol in a Sensory Neuron Encode Differences Between Past and Current Stimulus Intensity 著者 Hayao Ohno, Naoko Sakai, Takeshi Adachi, and Yuichi Iino* DOI番号 10.1016/j.celrep.2017.08.038 論文URL http://www.cell.com/cell-reports/abstract/S2211-1247(17)31145-2
用語解説
注1 線虫
C. elegans(C.エレガンス)とも呼ばれる。全身の細胞数が約1000個、神経数は302個と少なく、細胞レベルでの正確な解析に向いているので分子生物学や神経科学の研究によく使われている。↑
注2 ジアシルグリセロール
DAGと略す。細胞膜の成分の1つであり、グリセロールの2箇所のヒドロキシ基に脂肪酸が結合した化合物(図1)。ジアシルグリセロールに特異的に結合して活性化され、細胞の機能を変化させる一群の蛋白質が存在するため、ジアシルグリセロールは次項で述べる二次メッセンジャーとして細胞機能の調節に重要な働きをする。↑
注3 二次メッセンジャー
細胞に対して細胞外からホルモンや増殖因子などの刺激が与えられたときに、細胞膜付近で生産されて細胞の機能を変化させる生体物質の総称。例えば、ホスホリパーゼC(PLC)という酵素が活性化されると、細胞膜の成分であるホスホイノシチドがDAGとイノシトールリン酸に分解され、この両者が細胞内へシグナルを伝える。↑
注4 分子プローブ
特定の生体分子の状態を光で捉えるための研究用のツールの総称。さまざまな種類のものが開発されているが、蛍光蛋白質はよく使われている。対象とする分子がこのプローブに結合すると、蛍光の強度が変化したり、蛍光の波長が変化したりするように作られている。↑
―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―