2017/01/27

いい思いをたどって濃い味に― 線虫の味覚記憶の発見とその神経回路の解明 ―

 

飯野 雄一(生物科学専攻 教授)

Lifang WANG(生物科学専攻 博士課程3年)

 

発表のポイント

  • ナトリウムの味覚に関する新たな学習を発見し、この学習に関わる神経回路を解明した。
  • 神経の内在的興奮性の制御機構が線虫で発見されたのは本研究がはじめて。
  • この研究の成果は記憶と学習の仕組みを高等生物で理解するために役立つと期待される。

発表概要

動物はさまざまな環境刺激を受容し、過去の経験に基づいて、さまざまな学習行動を行う。線虫C.エレガンス(以下線虫、(注1))は、餌のある環境の塩濃度を記憶し、その塩濃度に引き寄せられる一方、飢餓とともに経験した塩濃度を記憶し、その塩濃度を避ける行動を示す。線虫の味覚神経は左右対称に2個存在する。このうち塩化物イオンを感じる右の神経が主としてこの学習行動を担うことが分かっていたが、人間では塩味として感じられるナトリウムイオンを受容する左の神経細胞はどういった機能を持っているのか、未だ報告がなかった。

今回、東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻の飯野雄一教授らの研究グループは新たな学習経路を発見した。ナトリウムで条件付けされた線虫は高いナトリウム濃度に誘引されるのに対し、ナトリウムなしで条件付けされた線虫はナトリウム走性、(注2)を示さないことを新たに見いだし、この学習の成立には、たった一つの感覚神経細胞(左の味覚神経)からのナトリウム刺激の入力で十分であることを明らかにした。また、光遺伝学、(注3)を用いて、ナトリウム走性に関わる神経回路を解析し、神経回路が走性を引き起こす機構を明らかにした。本研究の成果は、生物に広く見られる同様な現象を理解するための基礎的な知見となり、記憶と学習の仕組みの解明につながると期待される。

発表内容

自然界において、動物はいろいろな環境刺激を受けとり、過去の経験に基づいて行動を変化させる。こういった学習の能力はよりよく生きのびるために重要である。線虫はわずか302個の神経細胞しか持たないが、ヒトなどの脊椎動物の脳で働いている遺伝子のほとんどを持っているため、神経系の機能を詳しく調べるために理想的なモデル生物である。線虫は環境刺激を受けとり、さまざまな学習行動を行う。例えば線虫は餌のある塩濃度を記憶し、その塩濃度に引き寄せられる一方、飢餓を経験した塩濃度を避ける行動を示す。本研究ではナトリウムの味覚により起こる走性についての新たな学習を発見し、それに関わる神経回路を明らかにした。

(1)ナトリウム走性における新たな学習
ナトリウムで条件付けされた線虫は高いナトリウム濃度に引き寄せられるのに対し、ナトリウムなしで条件付けされた線虫はナトリウムへ向かう走性を示さないことを新たに見いだした(図1)。

図1:ナトリウムに対する線虫の走性:ナトリウムありでの飼育(条件付け)後は高濃度に向かい、ナトリウムなしでの飼育(条件付け)後はナトリウムへの走性がなくなる。

 

この学習の成立には、ナトリウムを感じるたった一つの感覚神経細胞(ASEL神経=左の味覚神経、図2)からのナトリウム刺激の入力で充分であった。

図2:線虫(上、身長〜1 mm)及び線虫の頭部にある味覚神経ASEL(下、緑色)

 

(2)ナトリウム条件付け後のナトリウム走性に関わる神経回路の解析
ナトリウム条件付けされた線虫を使い、まず、光遺伝学の方法でASEL味覚神経だけを刺激すると、前進行動が促進されることを見いだした。また、この反応がナトリウムに向かう行動を作り出していることもわかった。さらに、この行動制御にはASEL味覚神経からのシグナルを受け取る一次介在神経であるAIA神経、AIB神経、AIY神経が必要であることがわかった。次に、それぞれの一次介在神経を刺激したところ、AIBは方向転換を促進し、AIAとAIYは前進行動を促進することが明らかになった。さらに、ASEL味覚神経を刺激すると、AIBの活動が減少し、AIAとAIYの活動が上昇することが観察された。これらの神経活動の変化によって、ナトリウムへの誘引が引き起こされると考えられた(図3)。

図3:ナトリウム記憶により行動が変化するしくみ:(左)ナトリウムなし条件付けされた線虫はナトリウム走性がない。(右)ナトリウムあり条件付けされた場合のナトリウム走性を起こす神経回路。

 

(3)ナトリウムなし条件付け後にナトリウム走性を起こさなくする機構
ナトリウムなしで条件付けされた線虫では、光遺伝学の方法でASEL味覚神経を刺激しても行動が変化せず、ASELの活動も変化しないことがわかった、さらに、ナトリウムによりASELを刺激しても、ASELの活動が変化しなかった。一方、ナトリウムで条件付けされた線虫のASELを光遺伝学により刺激する、またはナトリウムにより刺激すると、ASEL神経の活動が上昇した。これらの結果から、ナトリウムを含まない環境を経験した線虫ではナトリウム受容によるASEL味覚神経の活性化が起きにくくなっていることが示唆された(図3)。

(4)カリウムチャネル阻害薬の効果
ナトリウムなしで条件付けされた線虫にカリウムチャネル阻害薬を作用させた後、ASELを光遺伝学またはナトリウムにより刺激すると、ASELの活動は上昇した。このことから、ナトリウムの経験によりASEL味覚神経の応答が変化するのは神経の内在的興奮性の制御によるものであることが示唆された(図4)。

図4:ナトリウムなし条件付けされた線虫のASEL細胞の性質の変化のしくみの推定

 

本研究ではナトリウムの味覚による走性行動における新たな学習を発見し、この学習に関わる神経回路を解明した。系統的に感覚神経細胞ASELの機能を解析した例は初めてである。神経細胞の興奮性の変化による記憶と学習の機構は哺乳類でよく調べられているが、線虫においては始めての発見である。今後、この発見をもとに記憶と学習の仕組みがさらに解明されることが期待される。

 

発表雑誌

雑誌名 Journal of Neuroscience (オンライン掲載1/26)
論文タイトル A gustatory neural circuit of Caenorhabditis elegans generates memory-dependent behaviors in Na+ Chemotaxis
著者 Lifang Wang, Hirofumi Sato, Yohsuke Satoh, Masahiro Tomioka, Hirofumi Kunitomo, Yuichi Iino*.
DOI番号  
論文URL  

 

用語解説

注1 線虫C.エレガンス

土壌にすむ非寄生性の線形動物、学名は Caenorhabditis elegans

注2 走性

匂いや味など、低分子の化学物質に対して誘引または忌避を示す行動。

注3 光遺伝学

光によって活性化されるイオンチャネル(チャネルロドプシンなど)の蛋白質を、遺伝学的方法を用いて特定の細胞に発現させ、光を当てることによって人為的にその神経を興奮させまたは抑制する技術。光(opto)と遺伝学(genetics)を組み合わせた方法であることから光遺伝学と呼ばれる。光遺伝学の開発により、特定の神経の活動を高い時間精度で正確に操作することが初めて可能となった。

 

―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―