2014/8/25 (配信日8/19)

有機分子ワイヤを通る電子移動速度の高速化を実現

~ 電子移動研究、分子デバイスの新たなマイルストーン ~

発表者

  • 中村 栄一(東京大学大学院理学系研究科化学専攻 教授)
  • 辻 勇人(東京大学大学院理学系研究科化学専攻 准教授、JSTさきがけ研究者 兼任)

発表のポイント

  • COPVと名付けた新開発の有機分子ワイヤ中を電子が通る速度(電子移動速度)を評価(室温・溶液中)。その結果、既存の分子ワイヤに比べて840倍程度も速くなることを発見した。
  • 高速化の要因として、「電子的カップリング」の寄与に加え、これまで有機分子ワイヤでは限られた条件下でのみ見られた「非弾性トンネリング」と呼ばれる非線形機構の寄与が示唆される。
  • 常温駆動する単分子トランジスターなどの分子エレクトロニクスの発展に寄与し、高機能・省電力な分子コンピューターの実現に貢献するものと期待される。

発表概要

東京大学大学院理学系研究科の助川潤平博士、辻勇人准教授(JSTさきがけ研究者兼任)、中村栄一教授らと、ドイツのフリードリヒ・アレクサンダー大学のグルディ教授らの国際共同研究グループは、COPVと名付けた新開発の有機分子ワイヤ中を電子が通る速度(電子移動速度)が、既存の分子ワイヤに比べて840倍程度も速くなることを発見した。高速化の要因としては、①分子ワイヤで連結されている電子供与体(電子を提供する物質)と電子受容体(電子を受け取る物質)間の電子的相互作用(電子的カップリング)の増大と、②非弾性トンネリング(注1)と呼ばれる非線形効果の関与を示唆する結果であった。特に、②のような効果は、これまで量子ドット等の無機半導体やカーボンナノチューブ(CNT)等の炭素クラスタ(炭素原子で構成される物質)等では観測されていた一方で、有機分子ワイヤでは、基板上に固定した分子を極低温(マイナス270度程度)等の条件下で観測した例に限られていた。今回、設計可能な有機分子ワイヤで常温駆動する初めての例として、基礎科学的重要性とともに、常温駆動する単分子エレクトロニクス素子等さまざまな方面への応用も考えられ、高機能・省電力な分子コンピューターの開発や早期実現に貢献するものと期待される。

発表内容

図1a,図1b

図1a,図1b拡大画像

携帯端末からスーパーコンピューターまで、さまざまな情報機器の高密度化や省電力化を目指して、1個の電子でスイッチングや演算が可能なナノ~ピコメートルサイズの分子の素子の開発が望まれている。また、素子同士の配線のための分子ワイヤの開発も活発に研究されている。分子ワイヤとしてはπ電子共役系有機分子(注2)が有望とされており、これまでオリゴ(フェニレンビニレン)(OPV、図1a)等のさまざまな分子が研究されてきた。

中村教授、辻准教授らのグループは、OPVを炭素原子で架橋した構造を持つ「炭素架橋フェニレンビニレン」(略して「COPV」)と名付けた有機分子を開発し、2009年に最初の報告をしている(図1b)。COPVは剛直な平面構造という特長に由来する電子共役効果が顕著であり、強い光吸収特性や量子収率100%の発光特性、多段階の可逆的酸化還元特性、高い安定性等のさまざまな優れた特性を示し、有用な有機材料として注目されている。

今回、このCOPVを分子ワイヤとして応用すべく、COPVの両末端に電子供与体(D)と電子受容体(A)を連結したハイブリッド分子(図2a)を合成し、グルディ教授らとの共同研究として光誘起電子移動(注3)の実験を行い、分光学的手法によってCOPVを介したD-A間の電子移動速度を評価した。その結果、マーカスの逆転領域(注4)と呼ばれるエネルギー領域で顕著な電子移動速度の増大が認められ(図2b)、既存のOPVを分子ワイヤに用いた場合と比較して840倍程度も速くなっていることを発見した。

COPVを用いた場合での高速化の要因としては、分子ワイヤで連結された電子供与体・受容体間の電子的相互作用の増大(共役効果に由来)の寄与に加えて、非弾性トンネリングと呼ばれる非線形効果の寄与を示唆する結果であった。このような効果が得られた背景には、COPVの構造的特長ならびにこれに起因する電子的性質が関与している。すなわち、一般に既存の分子ワイヤは構造的柔軟性が高いのに対し、COPVは剛直な平面構造を有している。

今回、このような構造に起因する電子的性質によって非弾性トンネリングを引き起こす要因となる電子—振動カップリング(e-vカップリング、注1)が大きくなっていると推測される。

e-vカップリングは、これまで量子ドット等の無機半導体やカーボンナノチューブ(CNT)等の炭素クラスタで観測された例があるのに対し、明確な単一構造を持つ有機分子ワイヤでは、金属基板上に置かれたπ共役分子をマイナス270度程度の極低温で観測した結果など、ごく限られた条件に留まっていた。ハイブリッド分子中の分子ワイヤとして、常温・溶液中でe-vカップリングの寄与が示唆されたのは今回が初めてであり、「電子移動研究における30年来の興味の対象であった現象の観察例」(注5)として重要なマイルストーンと位置づけられる。

単一構造を持つ有機分子を用いる利点としては、均一性と設計・合成の容易さが挙げられる。たとえば、CNT等はさまざまな組成や性質のものの混合物であり、構造的な欠陥も多く存在するため、材料として特に1分子で用いる際には素子性能のばらつきが大きくなるのに対し、今回のような単一の組成や形を持つ分子の場合、欠陥がなく、性質がそろうため、たとえ1分子を用いた素子でもばらつきが少なく、歩留まりも高まると期待される。また、今回のような有機分子では、所望する物性発現のための合目的的構造を設計・合成することが可能という自由度の大きさも特長である。今回の成果は、基礎科学的・応用的観点から重要なものとして位置づけられる。たとえば常温駆動する単分子エレクトロニクス素子等の高機能・省電力な分子コンピューターの開発や早期実現に貢献し、ひいては持続可能な情報社会の構築に貢献すると期待される。

本研究は、独立行政法人 科学技術振興機構(JST) の戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)「新物質科学と元素戦略」研究領域(研究総括:細野 秀雄 東京工業大学 フロンティア研究機構/応用セラミックス研究所 教授)」における研究課題「有機エレクトロニクスの革新に資するユビキタス有機材料の開発(研究者名:辻 勇人)」の一環として行われた。

発表雑誌

雑誌名
「Nature Chemistry」10月号(9月22日発行)掲載予定
イギリス時間8月24日(日本時間8月25日)オンライン公開
論文タイトル
Electron transfer through rigid organic molecular wires enhanced by electronic and electron-vibration coupling
著者
Junpei Sukegawa, Christina Schubert, Xiaozhang Zhu, Hayato Tsuji, Dirk M. Guldi, Eiichi Nakamura
DOI
10.1038/nchem.2026.

本論文はNews & View(重要論文をピックアップして紹介する欄)でもハイライトされる予定です。

用語解説

(注2)

(注2)π電子共役系有機分子拡大画像

(注3)

(注3)光誘起電子移動拡大画像

(注4)

(注4)逆転領域拡大画像

(注1)非弾性トンネリング
電子が「壁」(エネルギー障壁)を越える際、「壁」の中を透過することができる(トンネル効果)。この際、原子核の振動を引き起こす(励起)ことによって、低い活性化エネルギーで透過することができる(電子-振動カップリングまたはe-vカップリング)。この際、振動励起に要した分のエネルギーを失う。このようなエネルギー損失が起こる場合を非弾性的と呼ぶ。
(注2)π電子共役系有機分子
炭素原子同士が2本以上の結合(多重結合)でつながった際、π軌道と呼ばれる分子軌道が生じる。この多重結合が隣接すると、その間にπ軌道の重なり(広がり)が生じる。このような軌道間の広がりの効果を電子共役といい、電子共役を示す物質を電子共役系分子という。エネルギー的に安定化する、分子の着色や導電性をもたらす等のさまざまな物性の要因となる。共役効果が大きくなるためには、多重結合同士が同一平面性を持つ必要がある。今回用いたCOPVでは、炭素原子架橋によって、分子中の全ての二重結合が同一平面上に存在する構造に固定されており、このような構造的特長のために共役効果が顕著に現れる。
(注3)光誘起電子移動
電子供与体D(本研究ではポルフィリン)と電子受容体A(本研究ではフラーレン)を分子ワイヤでつなげたハイブリッド分子の溶液を室温中でパルスレーザ光照射すると、分子は次のような段階を経る。①基底状態にある分子が光を吸収して励起状態(エネルギーの高い不安定な状態)を形成する(光励起過程)。②この不安定な状態を解消するため、D分子内の電子がAに移動し(電荷分離過程)、エネルギー的に少し安定なラジカルイオン対(Dが正電荷,Aが負電荷を帯びた状態)を形成する。③電荷分離でAに移った電子がDに戻る(電荷再結合過程)ことで、光照射前の安定な状態(基底状態)に戻る。この②、③において電子がワイヤを通って移動し、その過程をフェムト秒レーザー等を用いた時間分解的分光学的手法によって観察することで、電子移動速度を求めることができる。
(注4)逆転領域
一般に単純な発熱的化学反応では、反応前後の自由エネルギーの差(–ΔG。ただし、ΔGは負の値とする)が大きくなると反応速度(kで表す)が大きくなる。これに対して、電子移動では、ある一定の領域までは–ΔGが大きくなるにつれて電子移動速度が大きくなる(正常領域)が、ある値を超えると逆に小さくなる(逆転領域)。つまり、–ΔGに対してkを対数(log)プロットすると、下図aのようなパラボラ型となる。非弾性効果が現れない時は、aのような左右対称なパラボラ型になるが、非弾性効果が現れる時はbのような非対称型になる。今回の実験では、bのようなパラボラを与えたことから、非弾性効果が現れていることが示唆される。
(注5)本論文に関する査読者のコメント
" This manuscript provides an excellent example of the importance of vibrational modes in the rates of charge recombination in the Marcus inverted region. This effect has been predicted theoretically for over 30 years, but it is nice to see such a clear example."
(和訳:この論文はマーカスの逆転領域での電荷再結合速度における振動モードの重要性を示した優れた例である。この効果は30年以上にわたり理論的に予測されていた、このような効果が明確に観測された例はすばらしい。)