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ニュートリノ質量決定に不可欠なデータをスーパーコンピュータ「京」で計算
大塚 孝治(物理学専攻 教授/同研究科附属原子核科学研究センター長)
清水 則孝(原子核科学研究センター 特任准教授)
岩田 順敬(原子核科学研究センター 特任助教)
宇都野 穣(日本原子力研究開発機構 研究主幹/原子核科学研究センター 講師(客員准教授))
発表のポイント
- 未知の量であるニュートリノ(注1)の質量は実験で直接測られるのではなく、ゼロニュートリノ二重ベータ崩壊(注2)(図1)の半減期の測定データから求める。その際に必要になる核行列要素(注3)(図1)を、最高精度で計算した。
- スーパーコンピュータ「京」(注4)等を用いての大規模な数値シミュレーションにより、20億次元の行列の対角化を行った。その結果、これまで適切に取扱うことができなかったプロセスを精度よく扱い、信頼性の大幅な向上につながった。
- ニュートリノの質量測定を目的として世界中で先端大型実験装置が建設されている。本研究結果により、先端大型実験装置での実験意義を高めることが期待される。
発表概要
東京大学大学院理学系研究科の大塚孝治教授、清水則孝特任准教授、岩田順敬特任助教、及び、日本原子力研究開発機構の宇都野穣研究主幹、日本学術振興会のJ. Menéndez外国人特別研究員らは、文部科学省HPCI戦略プログラム分野5(注5)のもとでスーパーコンピュータ「京」等を用いた、原子核の陽子—中性子多体構造に関する大規模数値シミュレーションを進めており、本研究はその成果の一つである。
核行列要素はこれまでいくつかの違った方法で計算されてきた。今回の研究対象であるカルシウム48原子核に限っても、今回の値に比べて3倍弱から約半分の範 囲に散らばっている。本研究グループは、今回、スパコンによる大規模な量子多体シミュレーションにより、20億次元の行列の対角化を行った。その結果、こ れまで精確に扱われていなかった効果が扱われるようになり、計算の信頼度を大幅に向上させることに成功した。このような大規模計算はこれまでに例がなく、 「京」のようなスパコンの重要性を示すものでもある。
核行列要素の値が大きかったとすると、二重ベータ崩壊は早く起こる事になるので測定の 待ち時間は短くなる。言葉を変えれば、同じ条件のもとではイベントがより頻繁に起こるので、実験を短期間で済ませることが出来る。
本研究は,文科省HPCI戦略プログラム分野5「物質と宇宙の起源と構造」および計算基礎科学連携拠点(JICFuS)のもとで、理化学研究所のスーパーコンピュータ「京」などを利用して得られたものである(課題番号:hp150224)。
発表内容
ニュートリノに質量があることは梶田隆章教授のノーベル賞につながった実験研究などで明らかになっているが、質量の実際の値は未知のままである。それを知る方法として現在追求されているのが、図1に模式的に示されているゼロニュートリノ二重ベータ崩壊の半減期の測定である。ゼロニュートリノとは、ニュートリノを出さない、という意味であり、ニュートリノが自分自身の反粒子でもあるために二重ベータ崩壊で生成される2個のニュートリノが互いに消し合ってしまう(注1)(注2)。 ニュートリノがそのような性質(マヨラナ粒子と呼ばれる)を持っているかどうかもまだ解答のないことであるが、そうである可能性は高い。その場合に、ゼロ ニュートリノ二重ベータ崩壊の半減期からニュートリノの質量を求めるには核行列要素と呼ばれる量が分かっていなければならない。
ゼロニュー トリノ二重ベータ崩壊の半減期を測る実験のプロジェクトは世界各地の先端大型実験装置によって進められている。宇宙線の影響を排除するために、地下に作ら れた施設で行われ、日本でも岐阜県神岡町で、大阪大学のグループを中心にCANDLES実験施設の建設が進められている。
本研究グループは そのような核行列要素の、現在最も精密と考えられる計算を行った。計算は陽子と中性子から成る多体系としての原子核の構造に関するもので、手法は量子多体 問題のものが使われる。近似のモデルなどに応じて、これまでに幾つかの方法によって計算が成されてきたが、結果がかなり分散していて、方向性が見えていな かった。
核行列要素はゼロニュートリノ二重ベータ崩壊を起こす原子核(母核と言う)とその結果出来る原子核(娘核と言う)の性質で決まる。 原子核は陽子と中性子の集合体であり、核力という力でまとまって塊になっている。本研究ではカルシウム48原子核が母核で、チタン48が娘核であり、陽子 と中性子を合計して48個の粒子から量子多体系を解くことによって、それぞれの原子核の内部構造が分かり、核行列要素が計算できる。二重ベータ崩壊には2 ニュートリノ二重ベータ崩壊(図1)もあり、その実験データによって、本研究の妥当性が検証された。ただし、それはニュートリノ質量には結びつかない。
本研究グループは、殻模型(注6)と いう方法によって核行列要素を計算した。48個の陽子や中性子の内、活性度をどの程度完全に近いところまで扱うか、という点で幾つかの異なる近似がある。 従来の殻模型計算では48個の1/6である8個だけがほぼ完全に活性化された近似であったのであるが、今回の計算では2/3に当る32個を活性化した計算 を行い、大幅に確度を上げた。それを達成するために、「京」を利用して、20億次元の巨大行列を対角化するという大型の数値シミュレーションを実現した。 それにより、以前のより小規模な殻模型計算に比べて核行列要素の値が大きくなり、半減期が、他の条件が全く同じとして、約半分になる効果を見出した。
本研究成果は、学術の基礎に関わる研究成果であり、即効的な社会的意義は特にないと言える。しかし、核行列要素の値が分からないと巨額の費用をかけて建設し た実験装置からのデータが最終的な知見にならない。実際的な効用としては、核行列要素の値が大きいと二重ベータ崩壊は早く起こるので測定の待ち時間は短く なる。言葉を変えれば、同じ試料・設定からイベントがより頻繁に起こるので、実験はやり易くなる。本研究成果は、実験施設や実験計画の設計においても重大 な要素になることが期待される。ゼロニュートリノ二重ベータ崩壊はカルシウムよりも重い原子核についても実験準備が世界各地で進んでいる。幾つかの原子核 の結果を総合してより確度の高い結論が得られる。それらに対応した核行列要素の計算はさらに大型のシミュレーションとなり、場合によっては次世代のポスト 「京」コンピュータ(注4)によって実現されることになろう。
本研究対象のカルシウム48からの二重ベータ崩壊は、日本においては大阪大学の岸本忠史教授らによって奈良県大塔村の実験施設で研究されていたが、現在は岐 阜県神岡町の CANDLES実験施設に引き継がれてゼロニュートリノ二重ベータ崩壊の発見を目指した研究が進められている。
発表雑誌
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雑誌名 Physical Review Letters 論文タイトル Large-scale shell-model analysis of the neutrinoless ββ decay of 48Ca 著者 Y. Iwata, N. Shimizu, T. Otsuka*, Y. Utsuno, J. Menendez, M. Honma, T. Abe DOI番号 ※ 論文URL ※ 会見時配布資料 ダウンロードはこちら 用語解説
注1 ニュートリノ
素粒子の一つ。スピンは1/2で、電荷は持たない。ディラック型か、マヨラナ型か、いずれであるかは分かっていない。後者であれば、ニュートリノはその反粒 子である反ニュートリノでもあるという特異な事が起きていることになり、ニュートリノ2個は互いに相手を消滅させることができる。ニュートリノは通常の物 質とは極めて弱くしか相互作用しないが、物質の創成や宇宙の成り立ちには重要な役割を果たす。↑
注2 二重ベータ崩壊
通常のベータ崩壊では中性子1個が、陽子、電子、及び、反ニュートリノの3個の粒子からなる組に変わる。それが二回同時に起こるのが二重ベータ崩壊であり、原子核内の2つの中性子が、同時に陽子2つに変わる。図1に 示されているように、二重ベータ崩壊には、2つの電子と2つの反ニュートリノが放出される2ニュートリノ二重ベータ崩壊と、2つの電子のみが放出されるゼ ロニュートリノ二重ベータ崩壊がある。後者はニュートリノがマヨラナ型である場合に起こり、ニュートリノ2個が互いに相手を消滅させるので結果的には ニュートリノも反ニュートリノも生成されない。後者の発見を目指して世界各地で実験がなされているが、稀少イベントなのでその検出は極めて困難である。↑
注3 核行列要素
二重ベータ崩壊に関する性質を記述する因子で原子核ごとに固有の値をとる。理論計算して求める必要がある。ニュートリノ質量の自乗は、核行列要素の自乗と二重ベータ崩壊の半減期の積に反比例する。比例係数は既知である。↑
注4 スーパーコンピュータ「京」、ポスト「京」
文 部科学省が推進する「革新的ハイパフォーマンス・コンピューティング・インフラ(HPCI)の構築」プログラムの中核システムとして、理化学研究所と富士 通が共同で開発した、計算速度10ペタフロップス級のスーパーコンピュータ。ポスト「京」は、文部科学省フラッグシップ2020プロジェクトのもとで開発 されている次世代のスパコン。最大で「京」の100倍のアプリケーション実効性能をめざしている。↑
注5 HPCI戦略プログラム
スー パーコンピュータ「京」を中心としたHPCI(High Performance Computing Infrastructure)を最大限に活用することによって、①画期的な成果の創出、②高度な計算科学技術環境を使いこなせる人材の創出、③最先端コ ンピューティング研究教育拠点の形成を目指し、戦略的に取り組むべき5つの研究分野(戦略分野)において「研究開発」および「計算科学技術推進体制の構 築」を推進する文部科学省のプログラム。↑
注6 殻模型
原 子核中の陽子・中性子は、平均ポテンシャルによって形成される一粒子軌道を運動していると考えられる。殻模型は、それぞれ複数個の活性化された陽子と中性 子が様々な軌道上で運動する組み合わせを多数設定し、核力によってそれらの組み合わせが混ざり合うのを評価して原子核の量子多体構造をもとめる理論であ る。実際には核力の効果を表す行列の対角化計算となり、この行列の次元は活性粒子数に対して階乗的に増加する。本研究では、精度を上げるためにその次元が 大きくなり20億に達した。↑
―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―