理学の技術革新
化学専攻 菅裕明 教授

先端技術を産む異端の思考

— 生物の遺伝暗号を書き換え、新たな薬をつくる —

バイオベンチャーの「ペプチドリーム」社は、革新的な独自技術で成長を続ける企業として注目を集める。同社の共同創業者のひとりは、理学系研究科化学専攻の菅裕明教授だ。

ベンチャーを支える技術と理学の研究—。両者のつながりや技術を確立するまでの道のりについて、菅教授に話を聞いた。

大手製薬会社が認めた「特殊ペプチド」という独自技術

図1

2013年6月、東大発のベンチャー「ペプチドリーム」社が、東証マザーズに上場を果たす。初値がついたのは株式公開の翌日だ。そのときの株価は7,900円、公開価格2,500円の3.2倍にまで上昇し、時価総額はたちまち1,300億円を超えた。

株式市場が反応したポイントは3つ。ひとつが独自の創薬技術、2つ目がその独自技術をもとに国内外の大手製薬会社と共同研究を進めていること、そして3つ目が、共同研究の初期段階からキャッシュ・フローを生むビジネスモデルを構築していることだ。同社の技術やビジネスモデルの評価は高い。同年1月には日本バイオベンチャー大賞を、翌2014年2月にはビジネスモデル大賞を受賞した。

ペプチドリーム社が産声をあげたのは2006年7月。当時、東大先端科学研究センター教授の座にあった菅裕明氏(2010年4月より理学系研究科化学専攻教授)が、自身が開発した創薬技術を提供し、同社の代表取締役社長を務める窪田規一氏と共同で会社を立ち上げた。菅教授は、講演等を通じて国内外の産業界に技術の啓発をする役割を務める社外取締役として会社に関与している。

ビジネスの世界でも高く評価されるペプチドリーム社の独自技術とは、「特殊ペプチド」による創薬技術だ。当然、それが社名のもとになっている。

ペプチドとは、天然に存在するアミノ酸が2つ以上結合してできた化合物のこと。サイズの小さなタンパク質と言ってもいい。生体内でホルモンや各種の信号伝達物質として働き、生命活動において重要な役割を担う。そのため、薬の候補として長く注目されていたが、いくつかの問題がその実現を阻んでいた。その壁を乗り越える可能性を示したからこそ、大手製薬会社が菅教授の「特殊ペプチド」に注目したのだ。

「特殊ペプチド」実現を阻む壁

菅教授は、「特殊ペプチド」の「特殊」たる所以を次のように語る。

「天然型のペプチド(通常ペプチド)は、わずか20種類のアミノ酸(通常アミノ酸)の組み合わせで構成されます。対して、私たちがつくる特殊ペプチドは、D体のアミノ酸、Nメチル化されたアミノ酸など、特殊な構造を持ったアミノ酸(特殊アミノ酸)を組み込むことができます。特殊アミノ酸でつくるペプチドだから、特殊ペプチドというわけです」

特殊アミノ酸を含む「特殊ペプチド」は、「通常ペプチド」が抱える欠点を克服する力を秘める。「通常ペプチド」は、体内に入ると血中等に存在するプロテアーゼの働きですぐに分解されてしまう。さらに分解を免れたものですら、薬効が発揮できるだけの機能を持たないこともある。その欠点を解決できるのが、特殊アミノ酸を含んだペプチド、すなわち「特殊ペプチド」だ。「特殊ペプチド」は、その構造的なユニークな特徴からプロテアーゼ分解から免れ、細胞の中に入り込むこともできる。そのため、薬として機能できると期待されているのだ。

だが、ここでまたもうひとつの疑問が浮上する。それほどポテンシャルの高い「特殊ペプチド」なら、誰もが競ってそれをつくろうとするはずだ。「特殊ペプチド」をつくることが、なぜ独自技術たりえるのか—。

それは、端的に言えば、つくるのが非常に難しいからだ。いまの化学の技術でも、特殊アミノ酸を組み込んだ「特殊ペプチド」をつくることは可能だが、数十のアミノ酸をつなぐだけでも莫大な手間とコストがかかる。創薬技術としては実用に程遠いのが現実だ。

菅教授の技術は、この問題点をも克服する。数多くの「特殊ペプチド」を効率的につくり、そのなかから薬になる可能性が高いものを効率的に探し出す技術を確立したのだ。しかも、一度に兆の単位に及ぶ「特殊ペプチド」を1本の試験官内でつくるというから、技術の革新性たるや桁外れだ。

生物がペプチドをつくる仕組み

図2

さらに、その「特殊ペプチド」のつくり方も驚きだ。生物が遺伝情報からペプチド(タンパク質)をつくるメカニズムを、いわばハッキングしているのだ。

そのすごさを理解する前段として、生物が持つ基本メカニズムをおさえておこう。

DNAが持つ遺伝情報は、まずメッセンジャーRNA(mRNA)に転写され、それをもとに、リボソームがアミノ酸をつなぎあわせてペプチド(タンパク質)を合成する。mRNAの遺伝情報からペプチド(タンパク質)がつくられる過程を「翻訳」と言い、リボソームにアミノ酸を運ぶ役割は、トランスファーRNA(tRNA)が担う。

遺伝情報は、DNAやmRNAの塩基配列として暗号化される。mRNAにおいては、A(アデニン)・C(シトシン)・G(グアニン)・U(ウラシル)の4種の塩基が3つ連なり、ひとつの意味をなす「コドン」が形成される(DNA中で塩基Uは存在せず、代わりに塩基T(チミン)が存在する。mRNAに転写される際にUに置き換わる)。この「コドン」から、リボソームがペプチド(タンパク質)を合成する「翻訳」のプロセスは、大まかに次のように進む。

mRNAの「コドン」は、リボソーム上で、tRNAの「アンチコドン」と呼ばれる部分と相互作用をする。いわば、「コドン」が鍵穴のような役割を果たし、「アンチコドン」が対になる鍵のように機能する。そのときリボソームは、「コドン」と「アンチコドン」の接合をチェックし、対応関係にある「アンチコドン」だけを受け入れる。そのとき、tRNAが引き連れてきたアミノ酸を数珠のようにつなぎ、ペプチド(タンパク質)が合成される(アミノ酸とtRNAが結合している状態を「アシル化」という)。

流れを整理すると、mRNAの遺伝暗号「コドン」とtRNAの「アンチコドン」が一対一で対応し、tRNAの「アンチコドン」とアミノ酸も一対一で対応する。つまり、「コドン」が決まれば対応するアミノ酸も決まる。こうして、遺伝暗号からペプチド(タンパク質)への「翻訳」が行われる。この「コドン」とアミノ酸の対応関係を「遺伝暗号表」と言う。

遺伝暗号表を書き換える

図3

ここからようやく、菅教授の独自技術の説明に移るが、その前にもうひとつおさえておくべきことがある。それは、ペプチド(タンパク質)合成の一連のプロセスは、いまの化学の技術では、試験官の中で行うことができるということだ(菅教授に限った話ではない)。

ペプチド(タンパク質)合成に必要なアミノ酸とリボソームなどの素材を混ぜ、合成したいペプチド(タンパク質)の遺伝暗号を持ったmRNAをそこに加えれば、望みのペプチド(タンパク質)を手にすることができるのだ。これを「無細胞翻訳」という。

だが、この技術でできるのは「通常ペプチド」をつくるところまでだ。特殊アミノ酸を組み込むことはできない。

その不可能を可能にしたのが、菅教授が開発した「フレキシザイム」という人工のRNA触媒(リボザイム)だ。「フレキシザイム」は、特殊アミノ酸も含む任意のアミノ酸とtRNAを結合(アシル化)することができる。これが意味することこそ、いわば生命のプログラムのハッキングだ。

図4

先に触れたように、リボソームは、mRNAの「コドン」とtRNAの「アンチコドン」の対応関係をチェックする。だが、tRNAがどういうアミノ酸を「アシル化」しているかまでは関知しない。受け入れたtRNAが正しい対応関係にあるアミノ酸を引き連れているものとして、ペプチド(タンパク質)を合成する。

菅教授は、そこに目をつけた。tRNAを特殊アミノ酸と「アシル化」させれば、リボソームは、そうと知らずに「特殊ペプチド」を合成するのではないかと仮説を立てた。それを可能にしたのが「フレキシザイム」だ。要するに、「フレキシザイム」はリボソームを騙しているのだ。それにより、「コドン」と「アンチコドン」の対応関係の先に、任意のアミノ酸を結びつけることを可能になった。

この技術は、生物のメカニズムに依拠しつつも、そこから大きく逸脱している。生物の基本であるはずの「遺伝暗号表」を書き換え、人工的に「特殊ペプチド」を合成するというきわめて革新的な技術だ。